敵に話す言葉の特徴
意外ときちんと対話をする
相手は敵だから対話を拒否してもいいようなものだが、意外ときちんと対話をする
対話をするということはある意味相手の人格を認めているということである
キレるわけではない
怒りはあると思うが、キレるわけではない
キレるわけではないとうことは、相手と関係を保っているということである
悪口を言うわけではない
「このおたんこなす」とか「このくされげどう」とか悪口を言うわけではない
受け入れとか共有とかを一切想定しない発話である
相手は敵なので受け入れとか共有とかを期待できるわけがない
純粋な自分の立場の表明である
受け入れとか共有とかを期待するわけでもなく、相手を傷付けてやろうというわけでもない
これは誰もが話すことのできる言葉ではない
受け入れや共有をコミュニケーションの基本的スタイルとしている人には発話しづらい言葉であろう
負のものを取り払う力がある
自分の中に侵入してくる別の価値観を取り払う力がある
しかしこれは両刃の剣でもある。その言葉を足場にして相手が更なる言葉を重ねてくる可能性があるからだ。相手が言葉を重ねてくるということはより負の方に向かう恐れもある
そもそも相手の価値観を自分の中に侵入させないような防御壁を持つ人もいる。このような人の場合は沈黙でもオッケーなのだ
そう考えると防御力が低いから代わりに言語で負のものを取り払うという手段を使っているとも考えることができる
相手に依存することのない自我をはっきりと確立している人が言えることのできる台詞である
相手に受け入れや共有を求めないというのはそういうことである
しかしこれは優劣ではなく、性質の問題なのである