数学と物理学の正誤
一つあるのは、数学は確かに観念的領域ではあるのですが、正誤が問えるので、例外的になると思っています。自分の話の観念的領域の難しさのポイントは、正誤を問いづらいという点にもあるのです。ここからは派生した話になりますが、それでは数学が物理的領域や科学の方法論のような領域と同じになるかというと、またそことの違いもあるなと考えていました。物理的領域などにおいては、正誤の間に中間層がグラデーション状に存在しているんですね。以前よりも有用性が高まるというのは言えるんだけど、100%の正ということはありえず、いつも発展途上なんです。一方、数学の場合は発展途上ということは基本的にあり得ず正か誤があるだけになる。さらに言うと、数学の場合は、数学そのものの世界を考えるか、そことの人間との関わりを考えるかというのも分けて考える必要があります。数学そのものの世界を考えるならば、そこには正しかなく誤がないんです。そこで誤が生じるのは、人間が単に間違えるというだけで、数学そのものとは関係がないんです。数学者の証明などは発展途上ということもありえますが、これも人間が発展途上なだけで、数学の世界が発展途上なわけではない。(この辺は数学をどう考えるかにもよるのですが。イデア的に考えるか構成的なものとして考えるか。)そうなると、数学をプラグマティズム的に考えるとするならば、「数学を人間が習得する場面(数学と人との関わり)」ということになるだろうと考えていました。そうなると、プラグマティズムとイデア論との対比で、プラグマティズムは人が関わる場面において有効なのかなと思いました。逆にイデア論は人が関わらない世界を考えているのかなと。
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