数学がアプリオリな理解を可能とする
例えばお菓子を作る状況を考えてみる。片方のボウルへ5個卵を入れる。もう片方のボウルへ7個卵を入れる。ここで数学ができれば、ここに12個の卵があることはすぐに理解できる。しかし、数学ができなければ、ボウルを合わせて、卵を1から数えないと12個であるとわからないかもしれない。このように数学ができれば、合わせるという経験をせずとも、卵の数を理解することが可能になるのである。 はじめ.icon
例が主張の補助として適切でなさそうtakker.icon
自分が主張したいことに対しては適切な例です。はじめ.icon
数学ができない場合の方法として卵を1から数えることを出している
これはむしろ逆で、数学ができるなら卵を1から数えることから考えないといけない
この話のポイントはそこではないです。正しいかどうかは別としてポイントがずれています。はじめ.icon
5+7=12という演算は自然数と同じ構造を持つ対象にしか成立しない
この例は自然数であることに意味があります。はじめ.icon
卵の数に対してこの演算を適用できるようにするには、まず「卵の数の定義」を作らないと行けない
この話はそういう文脈の話ではないですね。素朴にわかるということを重要視しています。はじめ.icon
「卵を1から数える」ことがこの操作に対応する
この操作を定義できて初めて、卵の数に自然数と同じ演算方法を適用できるとわかる
「数える」とはなにかを突き詰めて考えると、このようなプロセスになる
当たり前のことを考えているように思えるが、無限集合の個数など我々の直感を越える対象を考えるときは、「数えるとはなにか」「面積とはなにか」のような当たり前に思える対象の定義を明確にする必要がある
卵の場合はかなり自明なことに思えるが、実際にはそうではない
この話においては、懐疑よりも把握ということの方を重視しています。どんな話においても懐疑を始めれば無限に出来てしまいますが、今の場合はそこに価値をおいていません。はじめ.icon
例
卵が赤卵と白卵の2種類あったときどう数えるか?
色を区別せず数えることもできるし、赤卵を除外して数えることもできる
鶏卵とうずら卵が混ざっていたらどうするか?
もちろんそれぞれ一個ずつ数えることもできる
うずら卵3個を鶏卵1個分として数えることもできる
この場合卵の数は自然数ではなく有理数になる
鶏卵とうずらを別々に数えてもいい
例えば鶏卵が3個でうずらが2個のとき、「卵の数=(3,2)」と表す、など
この場合卵の数は二次元ベクトルになる
(脱線)エジソンの子供向け伝記で、エジソンがこの疑問を先生に投げかけて怒られていたシーンがあったなtakker.icon
あれは数え方の本質に関わる重要な質問だから、先生にはきちんと答えてほしかったが……まあむりか。
ひび割れて中身が溢れ出てしまった卵はどう数える?
etc.
ご指摘の内容が正しいかどうかは別として、「この話」へのご指摘として正しいのかは疑問に感じます。全体的に私の話をどの位理解されていらっしゃるのかな、理解された上でご指摘なされているのかなというのがあります。ですが、数学の話はやはり面白いですね。はじめ.icon
数学はいいぞ -通りすがり-