救いがないことが救い
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少々暗いが深い名言も名言bot(名言bot案)に追加する暴挙に出ているのだが、シオランの『生誕の災厄』のおかげで、この坂口安吾の言葉の意味が少しわかってきたかもしれない。 救済などはないという確信は、救済の一形態であり、救済そのものでさえある。そこから出発して、みずからの生を設計することもできようし、一個の歴史哲学を構築することもできるだろう。解決策としての、唯一の脱出口としての、解決不可能なもの…… ーシオラン『生誕の災厄』
2022/6/3
ただ、坂口安吾の以下の部分は今なお意味が分からない。いつか分かるだろうかと待ってはいるけれど。 それならば、生存の孤独とか、我々のふるさとというものは、このようにむごたらしく、救いのないものでありましょうか。私は、いかにも、そのように、むごたらしく、救いのないものだと思います。 (中略) そうして、最後に、むごたらしいこと、救いがないということ、それだけが、唯一の救いなのであります。モラルがないということ自体がモラルであると同じように、救いがないということ自体が救いであります。
私は文学のふるさと、或いは人間のふるさとを、ここに見ます。文学はここから始まるー-私は、そうも思います。
ー坂口安吾「文学のふるさと」