心のはたらきを名付ける
先日、Discordの方の心理自己チャンネルでの議論で「無意識という概念が怪しいならば、承認欲求という概念も同様に怪しいのではないか」という主張がなされていたが、この意見は的を射ており、我が意を得たりという感じである。これはさらに言うならば、怒りや悲しみという概念も怪しいのである。つまり、ここに共通してあるのは「心のはたらきに名をつける」という行為であり、もし精神分析の概念に疑いの眼を向けるのならば、必然的に怒りや悲しみという概念にまで疑いの眼を向けなければならないのである。 はじめ.icon