循環史観(現代美術)
私の考える循環史観は、20世紀以降の美術史を「前衛」→「反芸術」→「多様性」のサイクルの繰り返しとしてとらえるものです。「前衛」とは現実肯定的な時代精神のもと、熱さを伴った表現主義等として顕れるもので(「生」のイメージ)、その盛り上がりの頂点において一転、現実否定的な冷たさを伴うダダ等の「反芸術」が顕れます(「死」のイメージ)。ここで「前衛」と「反芸術」は同じ「芸術のための芸術」の2相なので短期間に相前後して登場し、ともに時代支配的なイズムとなり得ます。続けて「多様性」の長い時代が到来します(「死後」のイメージ)。否定されてしまった現実の外に逃避しようとすればシュルレアリスム、否定性の内在化に向かえば還元主義、否定を承けたキモワル風味はマニエリスムとして開花します。これは時代支配的なイズムの後退による多様なイズムの乱立または不在で、「人生のための芸術」の諸相の豊穣な滞留です。この滞留が打ち砕かれるのは、次のサイクルの先頭の「前衛」が来る時で、およそ30年程度の周期です。 この「前衛」→「反芸術」→「多様性」というサイクルは、20世紀前半の西欧美術史をその典型としています。ですが、西欧のみならずアメリカや日本においても、同様のサイクルが20世紀初頭から数えてすでに3回転していて、日本では2010年以降、4回転目の「前衛」に突入していると私は考えています。これが、「現代美術史日本篇」としての本書の立場にほかなりません。本書の章構成は、この循環史観に拠るものです(表参照)。
著者によると、西洋美術史がこのサイクルで変遷しており、日本においても例外ではなく、西洋美術史にみられる循環を日本の現代美術に適用したものが下記の表ということになるのだろう。
表はこちら(P9)。
https://gyazo.com/b801febb67c77116b7771e0f328efec3
もしこれが本当なら、現代美術史の理解においてかなり見通しがよくなるだろうし、次にどういう美術の時代傾向が来るのか予測することもできる。