後鳥羽天皇
第八十二代天皇
後鳥羽天皇 - Wikipedia
1180年8月6日〈治承4年7月14日〉- 1239年3月28日〈延応元年2月22日〉
高倉天皇の第四皇子。母は、坊門信隆の娘・殖子(七条院)。後白河天皇の孫で、安徳天皇の異母弟に当たる。
文武両道で、新古今和歌集の編纂でも知られる。鎌倉時代の1221年(承久3年)に、承久の乱で鎌倉幕府執権の北条義時に対して討伐の兵を挙げたが敗北し隠岐に配流され、1239年(延応元年)に同地で崩御した。
後鳥羽上皇
後鳥羽院
隠岐島に流された悲運の帝王
隠岐へ流された
隠岐本
藤原定家とメチャメチャ仲が悪くなって疎遠エンドを迎えた
疎遠と書いたが…なにやら重い矢印は向いている気はする
鎌倉殿の十三人では尾上松也が演じた