川端龍子
読み:かわばたりゅうし
昭和期を代表する日本の画家。2017年に没後50年記念の展覧会があり、再度注目が集まっている。→超ド級のスケール感!「会場芸術」を貫いた日本画家・川端龍子とは何者か?|美術手帖
国民新聞社の挿絵画家を務める傍ら、作品制作を続け、再興院展(再興日本美術院展)の代表的な画家となるが、脱退し、
「床の間芸術」と一線を画した「会場芸術」としての日本画を主張して「青龍社」を旗揚げして独自の道を歩んだ。
川端龍子 - Wikipedia
元々、「会場芸術」は龍子のスケールの大きい大画面の日本画を批判したものだったが、それを逆手にとって、美術を大衆に開くことを目的として「展覧会で見てもらうことを目的とした大型作品」を制作し続けた。
1959年に文化勲章を受賞。1963年には東京都大田区に龍子記念館を設立し、現在に至っている。
代表作
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《一天護持》、1927
→一天護持(行者道三部作の二) - 文化遺産オンライン
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《爆弾散華》、1945年|File:Kawabata Ryūshi - Bakudan Sange.jpg|Wikimedia Commons
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《怒る富士》、1944|File:KAWABATA Choleric Fuji.jpg|Wikimedia Commons