客観を掴む
お笑い芸人の山田花子の定番のネタの一つに、「汗ばむわ~」などとセクシーな表現をしながら、男を誘惑するというものがある。これで観客には笑いが起こる。なぜ笑いが起こるのだろうか。それは花子がそういう表現をするタイプの女性ではないからである。そのギャップで笑いが起こる。観客の心の中で突っ込みもあるかもしれない。もしそういうタイプの女性が花子と同じ表現をしたとしても、それはただのお色気シーンである。笑いは起きない。花子がやるから面白いのである。そして花子は自分がそういうタイプの女性ではないことを重々承知している。また花子は観客が自分のことをそういう女性と見ていないことも承知している。花子はそれを承知しているからこそ、これをネタにしたのである。
ネタを作るためには次に、自分がセクシーな表現を身に付けなければならない。これは観客にセクシーだという印象を与える表現ではない。観客に与えたい印象は「セクシーだ」ではなくて、「この人はセクシーを表現しているのだな」という印象を与えたい。花子が「セクシーだ」という印象を与えるのは難しいが、「この人はセクシーを表現しているのだな」という印象を与えることならばできるし、笑いを起こすためにはむしろそこを狙う必要がある。まかり間違って「セクシーだ」という印象を与えてしまっては、笑いは起きないのである。男性の誘惑が目的ならば「セクシーだ」という印象を与えなくてはいけないが、笑いが目的ならば、本来セクシーではない人がセクシーを表現する必要があるのである。
それでは観客に「この人はセクシーを表現しているのだな」という印象を与えるためにはどうすればよいか。それは世間でセクシーな表現とされているステレオタイプを持ち込むわけである。それが花子の場合、「汗ばむわ~」などといいながら素肌をちら見せしたりするなどの表現になるわけである。ここは過剰なくらい誇張して、大げさでわかりやすい表現でよいのである、お笑いの場合は。ここからは芸人として、自分の身体を使いながらひたすら実践練習である。お笑いというのは、プレゼンでありコミュニケーションなので、自分が伝達したいと意図したものを観客に適切に伝えることが出来なければ、笑いを起こすことができない。もし花子が恥ずかしがったり、中途半端な表現になってしまえば、お客に「この人はセクシーを表現しているのだな」という印象を与えることができず、結果笑いを起こすことができない。
自分の心の中で「お客に「この人はセクシーを表現しているのだな」という印象を与えたい」という望みを抱くことは簡単である。だがお客の心の中に「この人はセクシーを表現しているのだな」という印象を”実際に”与えるというまでにはかなりの飛躍がある。この隔たりを埋めるためには、相当の練習と経験が必要になってくる。いまや花子はこのつながりを簡単に起こすことができる。それで笑いが起こるということは保障されていない。しかし、花子が何をやろうとしているのか、花子がどういう点で人を笑かそうとしているのかというコミュニケーションはかなりの確率で起こすことができるだろう。花子は何万回このネタを舞台やテレビでやってきただろうか。最初は芸人仲間や先輩などに見てもらうだろう。その際には、私はこういう意図でこういうネタをやりたいということを伝えた上で見てもらう。見る方はそのゴールを認識したうえで、「それじゃわかりにくいな」とか「ここはこうした方がいいんじゃないかな」とフィードバックを与える。それを認識していないとフィードバックを与えることはできないからである。ただ最初に提示するゴールは固定されたものではなく、フィードバックの過程でゴールの修正、明確化という可能性も含まれているだろう。だがお客との間ではそうはいかない。初見の何も知らないお客との間に、パッとコミュニケーションを成立させなくてはいけないのである。
タイトルに話を戻すと、自分の心の中、つまり主観で起きたことを、他者もしくは複数の他者に、自分の狙い通りに伝える。それを偶然にではなく、ある程度の必然性をもって伝える。これの難しさ、しかし訓練や経験、これは広い意味での生まれてきてからのことも含むが、それによりその狙った結果を狙い通りに起こすことができる、それが得意な人たちがいる。そのような状態にいたれば、それは客観を掴んでいるという状態と言える。そしてそういう状態にいたるということが、プロフェッショナルになるということなのであるが、それがいわゆるプロでなくても、我々の日常のコミュニケーションというのはそういう事の繰り返しなわけで、実際にはそういうことが得意な人と不得意な人というのがいる。
この話は、「上達」ということ一般にいえることである。なぜなら上達というのは、自分の意図、つまり主観に生じたことを、客観的、現実的に実現していく割合を増やしていくことだからである。書道しかり、俳優しかり、運動しかり。