太宰を読んだ人が迷い込む場所の読書メモ:著書齋藤孝
読者メモ
太宰の毒を薬にする】
【30歳前後で青春と決別
20代は10代の延長線上で青春が続く
東京八景は小説を書こうと勢い込んで温泉に投宿したが10日経っても書けずにいることを書いた小説】
【斜陽は滅びゆく美しさを描いた
斜陽は愛人太田静子が自分の母を描いた斜陽日記を見たのがきっかけ
かず子の弟の直治は太宰的なものを感じつつ、百姓の子という太宰のアイデンティティは上原二郎に似た匂いがある。
名家だけど百姓の二律背反を持つ太宰】
爵位があるから、貴族だというわけにはいかないんだぜ。(斜陽の直治のセリフより)
ああ、お母さまのように、人と争わず、憎まずうらまず、美しく悲しく生涯を終える事の出来る人は、もうお母さまが最後で、これからの世の中には存在し得ないのではなかろうか。(斜陽より)
僕は、僕という草は、この世の空気と陽の中に、生きにくいんです。生きて行くのに、どこか一つ欠けているんです。足りないんです。(斜陽の直治の台詞より)
いまの世の中で、一ばん美しいのは犠牲者です。(斜陽のかず子が産まれてくる子供を道徳の過渡期の犠牲者と述べて)
そのままの意味で犠牲者が1番美しいと言う見方は三島由紀夫や石原慎太郎が自己犠牲が1番美しいと言ったのと連動するように感じた
【玉砕は美しい言葉で題名にはもったいないので散華にした(散華より)
御元気ですか。
遠い空から御伺いします。
無事、任地に着きました。
大いなる文学のために、
死んでください。
自分も死にます、
この戦争のために。(散華)
無駄のない文章、死を覚悟した者だからこそ持てる清澄な心 。太宰は死んでくださいと言われたかった。】
【太宰がいじめていた女中が子供とあの人は偉くなると話をしていると私は泣いていた。黄金風景の最後は本当に素朴で善良な人に触れると、魂が溶けてしまう感覚になる】
富士には月見草がよく似合う(富嶽百景)
【富士に対峙してすっくと立つ月見草が、けなげで美しい。】
【太宰は井伏鱒二の幽閉を感動して、手紙に「会ってくれなかったら自殺する」と迫ったと伝わる】
拝啓。
とつぜんにて、おゆるしください。私の名前を、ご存じでしょうか。(風の便り)
やり切れなくなったら、旅行でもしてみたら、どうですか。(風の便り)
一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことも思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。きょう一日を、よろこび、努め、......(新郎)
【「朝めざめて、きょう一日を、十分に生きる事、それだけを私はこのごろ心掛けて居ります。私は、嘘を言わなくなりました」||太宰は日常の美しい暮らしに、どこまでもやさしい目を向ける。
書斎には、いつでも季節の花が、活き活きと咲いている。けさは水仙を床の間の壷に投げ入れた。ああ、日本は、佳い国だ。パンが無くなっても、酒が足りなくなっても、花だけは、花だけは、どこの花屋さんの店頭を見ても、いっぱい、いっぱい、紅、黄、白、紫の色を競い咲き騎っているではないか。この美事さを、日本よ、世界に誇れ!(新郎より)
【この文章から「虚無」は感じられない。心から虚栄や打算を追い出した、清々しさすら感
じる。最後の一文がまた秀逸である。】
【天才たちはみな、自分を引き上げてくれる救いの手を枯渇している】のはソニーやHONDAが開発の天才だけでなく営業する人たちがいたから成り立ったのにも似ている。天才たちを育て上げるには援助する人や作り出したものを世に広める人も必要だ。
トカトントンは終戦後に聞こえてくるようになった音。三島思想との対比が気になる。
【トカトントンは敗戦によって信じてきた価値が無に帰したことを象徴する無気力の穴に響く音】
【冬の花火は生産性はないが、絶望の先に生じた間抜けな時間は、絶望を和らげてくれる価値がある。】
(おのぼりさんへ説教をして20円せしめて)私の自殺は、ひとつきのびた。(座興に非ず)
着物か何かをもらって生きようと思ったという太宰の他の作品を思い出した。確か処女作の晩年冒頭だったような
ー(生れて、すみません)(二十世紀旗手)
太宰の言葉をTシャツにしたい名言は多い
【太宰は聖書をよく読んだ。太宰のキリストとは罪を許す存在以上に罰を下す存在】
私の欲していたもの、全世界ではなかった。百年の名声でもなかった。タンポポの花一輪の信頼が欲しくて、チサの葉いちまいのなぐさめが欲しくて、一生を棒に振った。(三唱 同行二人)
良いものだと思った。人間は死に依って完成させられる。生きているうちは、みんな未完成だ。(中略)人間は、死んでから一ばん人間らしくなる、というパラドックスも成立するようだ。(パンドラの匣)
恥の多い生涯を送って来ました。自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。(人間失格の冒頭)
太宰は走れメロスなどでもわかるように冒頭は筆が立つ。
そこで考え出したのは、道化でした。それは、自分の、人間に対する最後の求愛でした。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、脂汗流してのサーヴィスでした。(人間失格)
【このような人は多いようだ。本当の自分をさらけ出せなくても人と関わっている便利な方法】
作中読みながら思っているが、現代人はメンタルが弱くなっていると言っているが、それは病気への理解が進んだから増えたように見える気もする。
世間というものは、個人ではなかろうかと思いはじめてから、自分は、いままでよりは多少、自分の意志で動く事が動く事が出来るようになりました。(人間失格にて「世間が許さないよの返答」)
【世間体が悪い。世界に顔向けできないは発言者の考えを世間に言い換えている。もしも言われたら君の考えでしょと心の中で反発すればいい】
世にも奇妙な物語にて世間が許さないからと、世間とされる全ての人が囚人となった世界でも世間が許さないという世界があったのを思い出した。つまり世間そのものは存在せず都合よく個人の意見を大きく言ったのだと思う。
ゆるすも、ゆるさぬもありません。ヨシ子は信頼の天才なのです。ひとを疑う事を知らなかったのです。しかし、それゆえの悲惨。神に問う。信頼は罪なりや。(人間失格にてヨシ子が男に襲われたことに対して)
そのあとはキズを治すことが出来ずアルコールに溺れる
無垢の心で他人を信頼する資質のある人は、世の中に認められ、受け入れられ、上手くいくはずなのに、心が清いゆえに悪い人間に蹂躙されてしまう。(人間失格から先程の後)
【人間失格を読んで死にたくなるのでなく共感し生きる勇気がわいてくるそうだ。「Youは何しに日本へ?」にて人間失格を読んで「いつかこの小説を日本語で読みたい」と思って、日本に興味を持ったロシアの少女が登場したそうだ。「自分も人間が怖かったが、太宰のおかげで立ち直れた」そうだ。 読者の持つ苦悩を人間失格の主人公が表現できているのが良さ】
【饗応夫人は底知れぬ優しさという女性の尊さを描ききっている】
美しく生きたいと思います。
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。
おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。(女生徒)
女生徒から半年分の日記を元に一日に日記をまとめた。
【女生徒の主題は「美しく生きること」。振れ幅の大きい乙女心も描かれている。】
灯篭は少女が万引きをして美辞麗句を並べて釈放される。その後灯篭を電球に変えて美しいとはしゃぐ家族3人
狂ったって狂わなくたって同じようなものですからね(女神から。この後借金をして酒を飲むよりも女神と呼ばれたいと奥さんに言われる)
言えない秘密を持って居ります。だって、それは女の「生れつき」ですもの。泥沼を、きっと一つずつ持って居ります。(中略)女には、一日-日が全部ですもの。男とちがう。死後も考えない。思索も、無い。-刻一刻の、美しさの完成だけを願って居ります。生活を、生活の感触を、溺愛いたします。女が、お茶碗や、きれいな柄の着物を愛するのは、それだけが、ほんとうの生き甲斐だからでございます。(皮膚と心)
太宰の女性像を感じる
走れメロスの冒頭
【太宰の日本語能力の高さに注目する】
【お伽草子は日本の昔話をパロディ化した話を防空壕で父親から娘へ話す筋書き。例えば浦島太郎は太宰と考えて、誹謗中傷の地上から逃れられる竜宮城に行くが飽きてしまう。地上の批評に感情豊かな生活に憧れて戻るという話】
右大臣実朝【元々、鉄面皮に書いてあるには「くるしい時には、必ず実朝を思い出す様子であった。」政治家の家に産まれて文学の道に進んだ太宰は実朝を重ね合わせていた。政治の世界に芸術家が入ってしまった。実朝の発言はカタカナで書かれているのも注目】
駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである(新釈諸国噺の貧の意地より)
津軽【凶作に何も手を打てないとはだらしないと嘆く太宰にその不幸が津軽を強くしたと友人の指摘に納得した。自分探しの旅の行く先は故郷に勝るものはなし】