夜詩にとってのイラストおぼえ書き
今年の2月に100日間イラストを練習してこうなりましたというnoteを読んで、ソッカの美術解剖学という分厚い書籍を手に取り、勉強を行いました。勉強自体は楽しかったと思います。この書籍は人間のパーツがどうしてこうなっているのかというのを、ドーキンスの利己的遺伝子の序盤のごとく説明していてなるほど!と思ったから。しかしこの勉強自体が、何か描こうとする気にさせることはなかった。ひとりひとり向き合うものは同じように見えるかもしれないが、自分なりにアプローチは自分で築くしかないようだ。 そもそも私には記事の人間のような、イラストについて成長したいという欲がないことについ最近気づく。(それまでだいぶ成長に向かえない、実力がついてこないことにフラストレーションがあったりした)
私のように、成長や技術を磨いて美麗なイラストを描くのではなく、何か現在的にかき消されて抑圧された創作意欲・形式を持つ人に向けて、この記事を書いている。言語化しようと試みる。
今日(21/12/26)改めて描いて気づいたこと
上手くなろうとする気がない
材質感があると下手なのをごまかせる、別に下手でいいや感、適当さ
描けるポーズなどのバリエーションを多くしたいとは思うかな
自分の中でこれが描きたいという像がない
とにかく線描の喜びを味わっていると、手癖や性癖などから絵ができる感覚
修正もほとんどしない、便利なレイヤー分けも適当(インフォーマル・私的領域・悪)
https://gyazo.com/14c5e603850be80fe2b8cadcdccc596e
今回できたやつ
夜詩にとって有益な気づき
黒背景にずかずかと粗いタッチの鉛筆で線を描くとよい感じに描けた
材質感がキーになっていて、アナログで描いている感触に近づくから?
もしかしたらエッチング(銅版画をニードルで削り、インクをつけて画用紙にスタンプする感じ)に近い? このエッチング的手法・発想(用紙から何かを削りだす感覚)が、私の絵の描き方に何か描きやすさをプラスしているのだろうか?
(そもそもデジタルが苦手。デジタルだと修正などが簡単なので完璧主義的になる人もいるだとか)