周囲に気を遣って活動する人と我が道を行く人との共存
久住哲.icon管理運営のひとつのテーマかなと思う それぞれに異なる苦難がある
気を遣う人は疲れてしまう
理想:気遣う人が疲れず、我が道を行く人が排除されない、うまいバランス
どう思われるでしょうか?
くま子.icon一般論の話ですか?どうするべきかは分からないけど、おそらく最終的には周囲に気を遣う方が折れる形になる(我が道をいく人に合わせる)と思う
uvoa.icon
いまのこの問いの出し方(ページタイトル)だと、「人VS人」になりかねません(とはいえ問題提起時にはこの書き方にならざるを得ないです)。共通する第三の対象を出すことで、「第三の対象VS各人」に落とし込めると良いよなって思います。uvoa.icon 2022/5/12
なるほど。たしかに問いの出し方は重要ですね。「第三の対象」ですか久住哲.icon
久住哲.icon 2023/3/11
ウボァさんの話を自分なりに噛み砕くと:気を遣いがちな人も我が道を行きがちな人も共にそれに準ずることができるような、「指針」や「理念」が提示されることで、「人VS人」の構図を回避できる。 まず、気を遣いがちな人が何をしているかといえば、それは、目の前に起こっていることや、目の前にいる人を前にして、その対象から、自らの言動に関する「べし」を取り出している。良く言えば、目の前にいる人によく耳を傾けて、その人の言葉に自分は応えるべきだと考えている。悪く言えば、目の前のものに自分の言動が左右されてしまう。結果、振り回されて自分のペースを乱されてしまうこともあるだろう。 一方、我が道を行きがちな人が何をしているかといえば、それは、目の前に起こっていることや、目の前の人の言動に対して、自分の内から、「べし」を当てはめている。良く言えば、目の前で混乱したり、間違った方向に行きそうな人にむかって、正しい道を示したり、明確な方向を与えたりしている。そうすることで、相手にとって頼りになる存在になることができるだろう。悪く言えば、相手のペースを考えず自分の考えを押し通そうとすることで、頑固になり、また、他の人と対立することになりかねない。 もちろん、ある人がずっと気を遣う人でありつづけるわけではないし、ある人がずっと我が道を行きつづけるわけでもない。どこかで、キレたり、折れたり、そういったことが起こる。また、相手に応じて、気を遣うモードになるか、我が道を行くモードになるか、変わることもある。 それはそうとして、では、彼らが共通に基づくことのできる「指針」や「理念」とはどのようなものなのか。それは、気を遣いがちな人にとっては、目の前のものを無視する理由になり、我が道を行く人にとっては、自分のものを断念する理由になる。それは、両方にとって、自分の性向を抑制するのに役立つものとなる。だが、こういった抑制が起こるためには、そういった「指針」や「理念」を与える者が、「リーダー」であったり「組織」であったりする必要がある。ラカン的に言えば、"大文字の他者"である必要がある。