反出生主義にも出生主義にも賛成できないという所感
「全ての生命は生まれるべきではなかった」とする反出生主義には同意できないが、それと同時に安易に「子供を産むことは幸福だ」という出生主義にも同意できない。というのも、私の主観ではあるが、私は「生まれて良かった」と思っている。例えベネターの示した例の表を見せられたとしても、それでも私は「生まれてきてよかった」と言うだろう。私の幸福をもし定量化するのなら、私の幸福はむしろ総和としてはマイナスもしくは0だろう。それでも、私は私として生まれてきたことも、苦しんだことも、喜んだことも含めて全てを「産まれて来てよかった」と言う。しかし苦しみとは単純に不幸なのか。私は「生まれてこなかったこと」を考えることは出来ないし、私はそういうものに「私として」評価を与えることは出来ない。ただ、「全ての産まれてくる命が果たして祝福されて産まれてくるのか」と言えばそうとは言えないのだ。「望まれておらず産まれてきたもの」にとっては産まれてきたことは最大の不幸だろう。ならば、「産まれてくるべきではなかった命」というのも、やはりあるのでは無いかとも思う。しかしながら、「産まれてきたのだから、命があるのだから、幸福に生まれて欲しい」とも考える。だから、私は反出生主義にも出生主義にも賛成できない。私は「子供を産みたいのならよおく考えろ」としか言えない。