初期ミスチルの話
僕は初期のミスチルが好きなんだけど、初期というのがどこからどこまでかというと、自分の中では明確で、デビュー曲の『君がいた夏』から『es』までがそうなんだよね。
『es』が初期のエンディングテーマになっていて、『シーソーゲーム』が第二章のオープニングテーマという感じ。曲調を聴けば明白なんだよね。
桜井さんにとってエゴって当時の大きなテーマの一つで、どちらかというとエゴにうんざりしていた所があったと思う。『tomorrow never knows』では、親友の恋人を奪ってしまうんだよね。それはエゴに他ならないわけで。
「無邪気に人を裏切れるほど 何もかもを欲しがっていた
分かり合えた友の 愛した人でさえも」
そんな桜井が、シーソーゲームでは、「恋なんていわばエゴとエゴのシーソーゲーム」と歌う。いい意味で開き直って、受け入れてるんだけど、これは開眼であり新たな章の幕開けなんだよね。
初期と言っても一枚岩でなく区分がある。でもそれをどう分けるかという問題がある。
初期の中でのさらに前期、中期、後期みたいな感じで考えてるけど、
前期は簡単で、
君がいた夏、抱きしめたい、リプレイの三曲
これはゆるぎないんだよね
なぜかというと、リプレイと次のクロスロードとの間に明確な断絶があるから
んでクロスロード、イノセント、トゥモローは組になる
エスはエスで独立している
ここで難しいのがエブリバディゴーズなんだ
これは作品として異質だから後にも前にも組にできない
エブリバディってちょっと問題児なんだよね
きれい目でさわやかで優等生だった桜井君がふと示した反抗期なんだよね
当時はけっこうな驚きを持って受け止められたと思うんだけど
後から振り返ると桜井にはこういう面っていうのはあるんだよね
だからマシンガンをぶっ放せなんていうのはエブリバディの正統な後継者であるわけで
どういう歌かっていうと社会派というかね、社会の現状に何かを突きつけるような歌だよね
時期的にはトゥモローと近いから、中期を四つにしておこうと思うんだけどね
結局、区分としては
前期
君がいた夏、抱きしめたい、リプレイ
中期
クロスロード、イノセントワールド
トゥモローネバーノーズ
エブリバディゴーズ
後期
エス
という区分でいこうと思う。
前期の3曲って三段ロケットでね
いわばソクラテス、プラトン、アリストテレスみたいなものでね
さわやかで純粋に恋愛を描いている
これがクロスロードになるとだんだん観念的で抽象的になってくる
男女の関係は根底のテーマとしてずっと繋がってはいくんだけどね
クロスロードだと一般的な人生訓みたいなものも入ってくるし
「誰もが胸の奥に秘めた迷いの中で 手にしたぬくもりを
それぞれに抱きしめて 新たなる道を行く」