内的体験は償われなくてはならない
1941年の秋頃、バタイユは、二つの会合を並行して始めるが、ブランショは、その両方に出席して、中心的な役割を果たしたとされる。それらの会合では、バタイユが執筆していた『内的体験』の検討が行なわれていた。おそらくその場で、バタイユは、信仰なき神秘体験である内的体験には、それを正当化する目的も権威もないことを論じて、この体験は、それでも残る空虚であると主張した。そして、このような体験が、なぜ権威もなにもなしに可能なのか、と彼は問うた。それに対してブランショは、「体験そのものが権威である」「だが、その権威は償われなければならない」と語った。つまり、体験は、外的な権威によっては根拠づけられない純粋体験だが、それでもそれ自体で価値をもつ権威そのものである。だが、その権威は、既存の権威のように不変なものではなく、体験が終わるとともに消失して、償われるはかないものなのだ。 ところで私は、この作品とはまったく無関係な形で、じかにブランショの口から、ただし、つねづね彼のかたわらでは私が沈黙を渇望するのを彼のほうでも望んでいる、その慎み深い感情をいささかも損なうことなしに、ブランショがある種の「精神的」生の基盤を定めるのを耳にした。その生とは、
――救済の欠如のなかにしか、あらゆる希望の放棄のなかにしか、その原理と目的とを定めることができず、
――内的体験について、それがひとつの権威である(ただし、いっさいの権威は罪を償う)としか確認できず、
――自分自身の異議への投入であることしか、非-知であることしかできない、 そういうものであった。