個別の砂場はつまらない
この場合の個別の砂場とは以下を満たすもの
一人しか書き込んでいないページ
サンドボックス的な気軽さと乱雑さがある
稀に、情報の弁当箱的である
砂場的ページ
あまり伝えるために書いてない
とりあえず書く、考えながら書くに使ったようなページ
使い捨てられてそのまま削除されることもある
タイトルが決められないが何かが書いてあるページ
決めようとして、決められない。あるいは決める気がない
これらはとにかく誰かの遊び場である。
これが個別になるとはどういうことか。
一人ひとりが、そのようなページを増産していくということ。
共同でひとつのページを砂場とせず、破壊と再生がひとりのコントロール下にある
コントロール下にあるということは、秩序的である
砂場に秩序はないのだが、そこで遊ぶプレイヤーのルールが秩序的振る舞いをする。
予期せぬ混沌が生まれない、と言ったほうがいいか。
予期せぬ混沌があったほうが面白い
なにせ予期しないからである。
それは今我々の誰もが持たない答えにたどり着く可能性を示唆する。
ほんとか?
ゆるい交流と共同ページ
そもそもScrapboxの共同プロジェクトでは、すべてが共同ページである
→Scrapboxのページは誰のページでもない
にもかかわらず共同ページという言い回しが生まれるのはやはり所有意識がどこかにあるのだろう
暗黙のルールのようなもの
例えば今これを見た人は、ここに書き込もうとはあまりしていないと思われる。
それはこのページがほぼ一人で書き込まれているからだ。
接続詞による流れもある。
共同であるという期待のひとつに、やはり交流と刺激があるだろうと思う
積極的、破壊的交流(編集)はしないまでも、共同ページでのエリアを定義し浸食するような交流はやるべきと思う。
積極的、破壊的交流(編集)とは、「ここは遊び場だ」という前提で互いの所有権を意図的に無視すること
定義し浸食する交流とは、アイコン記法とインデントによる交流
このような刺激によって何か新しいものが生み出されやしないだろうか
というか外部刺激がないとつまらんのでそういうことしたいですね
結論:ひとつのページを共同編集したい