休戦の場としてのアープラ
会長的にはこの会が《極左も極右も一時休戦して対話する場所》いいかえるなら《対立者同士もいったん刀を鞘におさめて相互理解や情報交換できるような場所》になることが理想です。《自分の政治思想をひたすら喧伝する場所》や《相互に対立して批判しあいまくる場所(バトルする場所)》はもういくらでもネットにあるのでここはどちらかというと休戦/対話/調停/止揚の場所になればいいなっていう。 /icons/hr.icon
ramen.icon政治の話題とかだと確かにネットのいろんなところで「相互に対立して批判しあいまくる」ということはされている気はするが、例えば、哲学の話題とかでそういう場所ってあるのだろうか?自分が知らないだけかもしれないが、そういう場はあんまりなく、どちらかといえば「教える人-教わる人」みたいに分かれてしまっている場合が多い気がする(そして、個人的には、哲学がそのような一方通行的な知識の伝授みたいになるのが望ましいとは思えない)。いずれにしろそういう場は貴重だと思うので、アープラもそういうのが許容される場であってほしいという願望。
というより現時点ではかなり許容されていると自分は思っているが、ということは上のような「休戦の場としてのアープラ」の実現はあまり進んでいないということだろうか。それとも自分が何か勘違いしているのか。
非フェミニズム的なオッサンとしてどんどんフェミニズム寄りの人と話していきたいが、たいていフェミニズム寄りの人は女が多いので困りもの。アープラとしては良いことやが。