事物への関心
/icons/hr.icon
第一に事物への関心ですが、子供のときから、人間は折れ釘や取れた釦や美しい石ころなどを大切に蔵い込みます。(略)人間の生活と呼ぶものには、煩雑な事物の集積が必要なのです。(略)人間にとっては自然も、その中の動植物も事物なのです。
(略)否応なしに人間は、自分が賞(め)で、あるいは使役した事物のほうが、彼自身より長生きすることを認めないわけに行かなくなります。(略)事物の完結性に取り囲まれて生活しながら、自分がその物の状態に、真の完結に達するところを見ずに死んでしまい、(略)死んだあとで扇風機ほどのいっかどの物になりえた人間も一人もいないのです。
おわかりですか。私はひいては天体としての地球の物的性質、無機物の勝利ということを言っているのです。いくら人間が群をなして集まっても、宇宙法則の中で「生命」というものが例外的なものにすぎないという無意識の孤独感は拭われず、人間はとりわけ物に、無機物に執着します。(略)そして有機物にすら、生きて動いている猫にすら、人間の惹き起す事件にすら、いや、人間そのものにすら、物の属性を与えなくては安心できぬように物の属性を即座に与えることが事物に完結性の外観をもたらし、人間が恒久性の観念と故意にごっちゃにしている 『幸福』の外観をもたらすからです。
かように人間の事物への関心は、時間の不可逆性からつねに自分を救い出そうとする欲求で、(略)
物質に対する人間の支配は、暗々裡に、いつも物質の最後的な勝利を認めてきた。(略)さて、そこで人間は、最後に質の性質をある程度究明して、原子力を発見したのです。 水素爆弾は人間の到達したもっとも逆説的な事物で、今人間どもは、この危険な物質の裡に、究極の『人間的』幻影を描いているのです。
(略)人間どものたえざる事物への関心が、自分たちの幸福を守るために、事物の堅固な外観を真似させ、人間や人間関係をさえ、物化させる方向へ向った以上、(略)水素爆弾が、最後の人間として登場したわけです。それはまるで、現代の人間が、自分たちには真似もできないが、現代の人間世界にふさわしい人間は、こうあらねばならぬという絶望的な夢を、全部具備していいるからです。
それは孤独で、英雄的で、巨大で、底しれぬ腕力をもち、もっともモダンで知的で、簡素な唯一つの目的(すなわち破壊)をしか持たず、しかも刻々の現在だけに生き、過去にも未来にも属さず、一等重要なことは、花火のように美しくはかない。これ以上理想的な『人間』の幻影は、一寸見つかりそうもない。(略)
(略)私は断言するが、いつか必ず人間はその足に接吻します。その足についている繊細な釦は、唇の一押しで、容易に水爆弾頭ミサイルを、あけぼのの空へ飛び翔たせます。又しても釦です。彼は人間であるのみか、釦でさえあるのです。何という理想的な存在。 人間どもが子供のころから、大事にしてきた落ちた釦でさえあるのです。
(略)人間どもの頭はごちゃごちゃしていますから、考えようによっては、この『最後の人間』をさえ、物として考えるのは、できないこいとじゃありません。それは人間の古い流儀ですから。しかし一つの問題は、水素爆弾が、まだ完結しない物だということです。人間が自分の幸福を保障するには、事物の完結性に囲まれて暮すほかはありません。(略)そしてそれを完結させるとは? すなわち釦を押すことに他ならないのです」