久々に『消費社会の神話と構造』を読む
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『消費社会の神話と構造』とは?
今回読むのは紀伊國屋書店から出された、今村仁司氏、塚原史氏の訳で書かれたものです(上の画像は違う本だよ!)。
難しいけど頑張って読んでいくよ!(2,3日に一部か一節くらい更新するのが理想)
なるべく初学者でもわかるようにしたい(結果として色々な部分を削ぎ落してしまうかも……)
わからないこと多いので助けて有識者~~~
第一部 モノの形式的儀礼
Q.現代って豊かな時代なの?
A.豊かな時代である。ただし……
ボードリヤールは現代を豊かな時代であるとしながらも、過去の時代のような「ヒト」に囲まれた豊かさではなく、「モノ」に囲まれた豊かさと考えた。では「モノ」に囲まれた豊かさとはどういうったものだろうか?
トーチカ.icon「それはとってもドラッグストア的な……」
「豊富と計算が統合されたもの、それはドラッグストアだ」p15
ドラッグストアでは様々な商品のあらゆる記号を混合している。モノや商品の有用性や商品としての地位は昇華され、新しい文化ができあがる。それは今まで上等であったものや食料品、俗っぽい週刊誌が同じ舞台で我々に押しかけてくるような文化である。そうした消費の文化に我々は捕らわれている。
「われわれはモノの時代に生きている。つまり、モノのリズムに合わせて、モノの絶えざる連続に従って生きているのだ」p12
モノは人々を購買という網に誘導する。そこには秩序があり(秩序がないように見せかけることもある)、その秩序を見ながら人々は論理的に次から次へと商品に手を伸ばす。そうしたモノの時代が成熟している。
トーチカ.icon(正直、抽象的でうまく理解できない部分が大きいね……)
Ⅰ 消費の奇蹟的現状
「日常生活の経験では、消費の恩恵は労働や生産過程の結果としてではなく、奇蹟として体験される」p21
我々の消費社会は奇蹟の上で成り立っているとボードリヤールは考える。その奇蹟は様々なマス・コミュニケーションが人々に見せる消費への誘惑である(ボードリヤールは「現実の眩惑」と表現している)。
この章ではメラネシア人のカーゴ信仰やテロ対策のニュースの例えが出てくる。どちらもある種への「期待」を誘うものである。カーゴ信仰では豊かさを、テロ対策のニュースでは悲劇を人々に想起させて、そこへの誘惑を引き起こす。
こうしたメッセージ、つまりは記号は現実を伝えるのではなく、我々はこうした記号を記号として消費している。人々が購入や消費するものは、モノだけではなく記号を消費している。こういった意味で日常とは解釈の場であり、解釈のシステムでもある。
我々はこうした技術や進歩、経済成長から分配された奇蹟を当然のものとして受け取り、また自然権として相続しているのである。
トーチカ.icon「ここは様々なイメージや例え話で情報量が多いからゆっくり解釈した方がいいかも」
Ⅱ 経済成長の悪循環
「消費社会が存在するためにはモノが必要である。もっと正確に言えば、モノの破壊が必要である。モノの「使用」はその緩慢な消耗を招くだけだが、急激な消耗において創造される価値ははるかに大きなものとなる。それゆえ破壊は生産の対極であって、消費は両者の中間項でしかない」p46
引用したように、消費社会では「モノの破壊」が重要になる。それについて書かれた章になっている。
「消耗」=過剰や余分の消費、により人びとは幸福になるということも重要な語りである。
第二部 消費の理論
Ⅰ 消費の社会的理論
「ここでもまた、自然発生的なあらゆるヴィジョンを点検し直す必要がある。幸福という概念の持つイデオロギー的
力は、もちろん個人が自分で幸福を実現しようとする自然にそなわった傾向に由来するものではない。それは、社会的歴史的に見れば、現代社会では幸福の神話は平等の神話を集大成化し具体化したものであるという事実に由来する」p48
ボードリヤールは現代の経済システムに対する痛烈な批判者でもある。例えば、「成長」が社会を構成する全員の豊かさにつながるわけではないという、現代で言えばピケティの研究内容に似た指摘などもあるが、やはり彼らしさが表れているのは「消費」についてだろう。
彼は述べる。「消費が万人のものになった時には、それはもはや何の意味ももたなくなっているかもしれない」と。消費における重要な要素に他者との差異がある。この差異によって消費はその価値を生み出している。そしてそれは消費社会では、そこに参与している全ての人びとに求められている。まさしく上で引用した言葉の通り幸福の実現のイデオロギーが働いているのだ。そしてこの差異はヒエラルキーを生み出し、新たな差別を生みだしているとボードリヤールは指摘している。ある財を消費することは、その財を無くすことであり、それを手に入れられなかった他者との差異化になっているのだ。
Ⅱ 消費の理論のために