一生を棒にふって人生に関与せよ
冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が洗ひ出すのは万物の木地。
天はやつぱり高く遠く
樹木は思いきって潔らかだ。
虫は生殖を終へて平気で死に、
霜がおりれば草が枯れる。
この世の少しばかりの擬勢とおめかしとを
冬はいきなり蹂躪する。
冬は凩の喇叭を吹いて宣言する、
人間手製の価値をすてよと。
君等のいぢらしい誇りをすてよ、
君等が唯君等たる仕事に猛進せよと。
冬が又来て天と地とを清楚にする。
冬が求めるのは万物の木地。
冬は鉄碪を打つて又叫ぶ、
一生を棒にふって人生に関与せよと。
「一生を棒にふって人生に関与せよ」とは、上に「唯君等たる仕事に猛進せよ」とあるからよく「仕事に没頭せよ」とブログ等では解釈されているが、高村光太郎は詩人であるということを忘れてはならないと思う。Wikipediaで生涯を見てみると、大学も東京美術学校(現・東京藝術大学)の彫刻科卒、父親は日本を代表する彫刻家の高村光雲。根っからの芸術家人生だったはず。光太郎もまた、有名な彫刻も製作している。
仕事という言葉は多義的だ。ここでの「仕事」を「賃金を得るための手段としての労働」という意味だけで解釈してよいのだろうか。
「人間手製の価値をすてよと」も気になるところ。
「人生をかけて打ち込む仕事に従事せよ」、この仕事とは賃金労働よりももっと広範囲のもの、金にならない趣味や芸術活動、奉仕活動なども含まれるもの、という広い意味ではないだろうか。高村光太郎にとっては一生を棒にふっても人生をかけて猛進する仕事は詩であった、そういう意味ではないか。
「或る墓碑名」
一生を棒に振りし男此処に眠る。
彼は無価値に生きたり。
彼は唯人生に偏満する不可見の理方に貫かれて動きたり。
彼は常に自己の形骸を放下せり。
彼は詩を作りたれど詩歌の城を認めず、
彼の造形美術は木材と岩石との構造にまで還元せり。
彼は人間の卑小性を怒り、その根元を価値観に帰せり。
かかるが故に彼は無価値に生きたり。
一生を棒に振りし男此処に眠る。
くま子.icon難しいですね
kluftrose.iconなんだか我に返りますね
たしかに.icon