フランク・ヘネンロッター『フランケンフッカー』感想
かつて医者をめざしていた生体電力?研究者で発電所で働く青年ジェフリー・フランケンは、草刈機に巻き込まれてバラバラになった恋人エリザベスを復活させるためにエリザベスの首と娼婦たちの屍体のパーツをつなぎあわせる
フランケンフッカーの誕生である
フッカーってのは娼婦のことである
https://youtu.be/8-LQ01M32LA?si=XSYF3geVaJp1YHVm
話の筋だけ読むと気持ち悪いイカれた内容と思われるが、まあ確かにグロテスクな場面もあるが実はブラックコメディなので全体的なムードは和気あいあいとしている
主人公は恋人の死によって倫理観が崩壊し狂気の世界に陥り、人間による生命創造というタブーに手を出す。娼婦やドラッグなど、所謂アンモラルなものも作品のテーマとして扱っている
フランケンフッカー自体のキャラクターはぎこちないがなんだかファニーで、娼婦という設定がなければもしかしたらメジャーな人気が出たかもしれない(いや、そんなことないか)
フランケンフッカー誕生までのくだりが長く、フランケンフッカーが活躍する時間があまり割かれていないのは残念かも。ここを増やせばもっと人気が出たか?(いや、そんなことないか)
フランク・ヘネンロッターはB級映画の旗手で、チープなつくりに定評がある。彼の『バスケット・ケース』という作品も有名?であるので、見てみるといいかも(なんなんですこれ?って快感が得られる)。『バスケット・ケース』と比較したときに、『フランケンフッカー』は画質とかセットとかめっちゃよくなってるやん!きちんとした出資先があって製作されてあると感心した 『バスケット・ケース』のときも思ったが、ヘネンロッターの作品はどこか哀愁を感じさせられる。怪物や異形の存在が基本的に世の中から受け入れられないという前提を無視していないからだろう。ただフランケンフッカーが『バスケット・ケース』と違うのは、その"受け入れ"の準備ができている点である
娼婦の身体から寄せ集めて恋人は復活するのだが、娼婦から集めた存在なので娼婦街に戻っていってしまう。娼婦としてしか生きられないのだ
自分の勝手な願望により復活させた恋人だが、その恋人が娼婦であることに主人公は失望する。
主人公の「エリザベス、君は娼婦じゃない」というセリフがあるが、ピュアな男がパートナーに感じる疑念をいろんな意味を含んでいると考えられる
ちなみにフランケンフッカー(エリザベス)の「たくさんの女が私の中にいる」というセリフも見逃せないところではある
ラストはわりと衝撃的で、最終的に主人公の規範的な男女観みたいなのは無理矢理改造させられるのだが、この辺パーツでしか女を見れなかった男が肉体を超えた愛を語れるかそういう可能性に言及している