ビアズリー展と批評の話
地元に珍しくビアズリーが来ていたので、見に行きました。
ビアズリーを最初に高く評価したのはエドワード・バーン=ジョーンズで、ビアズリーには彼の挿絵の影響がある。実際に彼が挿絵の仕事をはじめた時に「バーン=ジョーンズほど金のかからないバーン=ジョーンズ」という触れ込みで雇われた。またウィリアム・モリス、児童書の挿絵画も有名なウォルター・クレイン、ホイッスラーからも影響を受けている。また、当時流行していたジャポニスムからの影響が強い。
しかし変遷をたどっていくと、これらの影響(もしくはこれらをミックスさせて)から、ビアズリーがどんどん自由になっていく様がうかがえる。この自由さはオスカー・ワイルドの『サロメ』の挿絵でひとつの頂点に到達する(しかし、ワイルドはビアズリーの挿絵をあまり気に入っていなかったようだ)。
ビアズリーで有名なのは圧倒的にこのあたり、『サロメ』あたりの絵だと思う。しかし展覧会でおもしろかったのは、サロメ以降の絵だ。厳密に言うとサロメ時代とそれ以降のビアズリーの絵の比較。オスカー・ワイルドに関するスキャンダルに巻き込まれながら、絵の仕事に四苦八苦しながら描き続け、緻密さに関しては晩年のほうがはるかに優れている。点描なんかも駆使している。ビアズリーは短命であったが短い画家人生の中で試行錯誤し努力していたことがわかる。
『サロメ』期のビアズリーの絵
https://gyazo.com/6b59148f7a78674c935529c47646291f
晩年のビアズリーの絵
https://gyazo.com/66f55986caad14e3ca5bf3b8e27d8cec
https://gyazo.com/fe348a09f7fbf7f1cc1365d8642dc394
https://gyazo.com/350bb1de1f30e6eb17b5154607496283
点描
今回行った展覧会ではこの
先輩たちの影響から脱する初期のビアズリー
ジャポニスムとビアズリー
『サロメ』期のビアズリー/『サロメ』以後〜晩年のビアズリー
という視点によってきちんと理解できる構成になっていた(あとビアズリー以外の画家の『サロメ』のアプローチとかもあったんですが、気になったのはこの三点)。
美術の展覧会で「すき」「きらい」から脱して批評性みたいなのを持ちたい場合、さしあたりその画家の絵と何かもうひとつ別の比較対象を考えれば批評になりそうである。今回ならば、ビアズリー以前の挿絵画家/ビアズリー、浮世絵/ビアズリー、『サロメ』期のビアズリー/サロメ以降のビアズリー、を比較して考える。
画家以外でもビアズリー/オスカー・ワイルド、画家としてのビアズリー/文学者としてのビアズリーという枠組みでも考えることが可能だ。
そして、展覧会というのは開く側がたいていそのような批評性をもって開催していることが多いので、素直にその枠組みを汲み取っていくと美術鑑賞が楽しくなる。
絵それ自体の鑑賞が苦手な人(絵を見てもなんかあまり感銘を受けない)が美術鑑賞に行く場合に、こういう見方をしていくのもおすすめです。要は解説文を読んでいくということですが、これは美術と文字文化の組み合わせになっていて、絵を鑑賞するのに役に立ちます。