ヒンドゥー教
で、インダス川流域にイスラム教徒が住むようになると、「ヒンドゥー」ということばは、イスラム教徒の立場から見てこの一帯に元から住んでいた人々や、自分たちイスラム教徒とは別の宗教の人々を指す語になりました。つまり、イスラム教徒目線で見た「異教徒」が「ヒンドゥー」と呼ばれたのです。よって、「ヒンドゥー」というのは元々は、インド人がみずから名乗った呼称ではないし、自分たちの宗教を「ヒンドゥー教」と呼んでいたわけでもありません。イスラム教徒や西洋人から見て、自分たちとは異なる「異教徒」を指すことばだったのです。
ところが、この「ヒンドゥー」という語の意味は、19世紀に大きく転換することになります。イギリスによる植民地化が進行した近代のインドでは、西洋からやってきた宣教師たちがキリスト教を広める活動を行うようになります。彼らは、インドの「宗教」を偶像崇拝を行う「野蛮」な多神教だとして攻撃しました。これに対して、西洋からもたらされた近代的な思考に接触し、西洋の教養を身につけたインドの人々が、自分たちの「宗教」を擁護するための改革運動を始めたのです。その過程でインド人自身が、自分たちの「アイデンティティ」を示すことばとして、「ヒンドゥー」とか「ヒンドゥイズム」という語を使うようになったのです(なんだかスリランカかどこかで聞いたような話になってきましたね)。