ヒッポのアウグスティヌス
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改心
アウグスティヌスは354年、ローマ帝国の属州タガステ(現在の北アフリカのアルジェリア)に生まれた。
母(モニカ)はキリスト教徒、父は異教徒だった。
16歳のときに当時ローマに次ぐ第二の都市だったカルタゴにて修辞学を学び、18歳のときに同棲した女性との間に息子(アデオダトゥス)が生まれる。
「まだ愛することを知らなかったが、愛することを愛して、愛の対象を求めていた。愛し、愛されることが私には甘美であり、愛する者の身体を享受することは、なおさらに甘美だった」(『告白』第3巻第1章)
「情欲で結ばれた場合、子は親の意に反して生まれるのではあるけれども、生まれた以上は愛さずにはいられない」(第4巻第2章)
アウグスティヌスにはともに学び、ともに育った親友がいた。20歳の頃この友は若くしてこの世を去った。
アウグスティヌスは深く悲しんだ。
「この悲しみのために、私の心はまったくの暗黒となり、どこに目をやっても見えるのはただ死のみであった。私にとってふるさとは苦悩となり、父の家はゆえしらぬ苦痛となった。私がその友とともになしたことのすべては、彼の不在のために恐るべき苦悩に変わった。
私の目は、至る所で彼を探し求めたけれども、彼は見えなかった。私はあらゆるものを憎んだ[中略]ただ涙のみが、私にとって甘美なものとなり、友に変わって私の喜びとなった。」(第4巻第4章)
「あなたを愛し、あなたにおいて友を愛し、あなたのために敵をも愛する人は幸いである・けっして失われないものにおいて一切を愛するものだけが、自分の愛するものを少しも失わないからである。」(第4巻第9章)
ここでいう「あなた」「けっして失われないもの」とは「神」である。神とはまた真理であり、真理である神を愛するものだけが、失われることのないものを愛する。
29歳でローマで、その後にミラノで修辞学の教師となる。
母モニカはアウグスティヌスと女性との関係を壊し、アウグスティヌスは深く傷つき、しかし肉欲に囚われていた別の女性とも関係を結んだ。
「痛みは和らいだようでもあったが、より一層絶望的なものともなった」(第6巻第15章)
ミラノの自宅にて、このような堕落、屈辱がいつ終わりを迎えるのかと泣きながら神に訴えていると、隣家の子どもが「Tolle, lege(取れ、読め)」と繰り返す声が聞こえてきた。
「私は使徒書を手に取り、最初に目に触れた章を黙って読んだ」(第8巻第12章)
このとき読んだパウロ書簡「ローマ人への手紙」第13章13-14節には「主イエス・キリストを身にまとえ、肉欲を満たすことに心を傾けてはならない」と書かれていた。
この改心の前、アウグスティヌスは一時期マニ教を信奉していたが、現在は失われてしまったキケロの『ホルテンシウス』を読み「知への愛、真理への渇望に心を燃えたたせた」(第3巻第4章)その後、新プラトン主義にも触れマニ教とは距離を置くようになった。 母モニカ(彼女も聖人である)の影響もあり387年にアウグスティヌスは息子とともに洗礼を受けた。
その後、アフリカに帰り、友人たちや息子と修道院生活を送る。このとき彼が定めた規則は「アウグスティヌスの戒則」としてキリスト教修道会規則に受け継がれた。
懐疑論への反論
神とは絶対的な真理である。しかし一般に真理の認識は不可能であるという主張が立ちはだかっている。
これに対し「真なるもの」がありうること、認識が可能であることを示さなければならない。
懐疑論は感覚への懐疑から始まる。円筒形に見えた塔が近くで見ると四角柱であったり、まっすぐな舟の櫂が水中で折れ曲がって見えたりする。懐疑論者の思想はこのような事象を引き合いに出し、感覚への判断中止に至る。 アウグスティヌスはこれに対し、感覚に欺かれようと、今そのように感覚される世界は存在し、世界を感覚する私も存在すると主張した。
「私が存在し、存在していることを知り、その存在と知を愛している。。[中略]これらの真なるものに関しては、「君が欺かれていれば、どうか?」というアカデメイア派の人々の反論も私は恐れない。私が欺かれるなら私は存在するからである。存在しないものは欺かれることもあり得ない。だから、私が欺かれるのなら、私は存在するのである。」(『神の国』第11巻第26章) 「自分が疑っていることを知っているすべての人は真なるものを知っている。その者は知っているものに関して確信している。だから真なるものについて確信しているのである。」(『真の宗教』39/73節)
「人間の魂のうちで最も優れているのは、感覚的な対象を感覚するものではなく、その感覚について判断するものである。(同29/53節)
「もし精神のはたらきが存在しないならば、何ものについてであれ、疑うことすらできないはずである」(『三位一体論』第10巻第10章)
等しくあるもの、一性
現に存在し、感覚が捉えるもの、物体は部分をもち場所を変じ形が変わる。
「このような等しくないものを等しいと捉え「一つのもの」として捉えるのは真の「ひとしさ」を知っている理性である。
事物のひとしさと一性、ひとつであることは、理性によっていわば構成されている。」(『真の宗教』30/55節)
「一切のものについて、ひとつであることを捉えるのは理性である。最高度に「ひとつであるもの」、一性そのものであるのは、神にほかならない。人間の理性が、身体的な感覚に頼らず、みずから「永遠で不変なもの」を見いだすとき、理性は、自分より遥かに優れたもの「神」を発見するのである。(『自由意志論』第2巻第6章)
自身のうちに帰れ、自身を超えてゆけ
アウグスティヌスは内在のうちで超越的なものが、内面において神という絶対的な外部性が出会われると説く。
「外に出てゆかず、きみ自身のうちに帰れ。真理は人間の内部に宿っている。そしてもしも、きみの本性が変わりゆくものであることを見いだすなら、きみ自身を超えてゆきなさい。しかし憶えておくがよい、きみがじぶんを超えてゆくとき、きみは理性的なたましいをも超えてゆくことを。だから、理性の光そのものが点火されるところへ向かってゆきなさい。〔中略〕きみが真理それ自身ではないことを告白しなさい。真理は、自己自身を探しもとめないけれども、きみは探しもとめることで真理に達するからである」(『真の宗教』31/57節)
アウグスティヌスは魂の内的対話において理性と自己意識の根源へと遡り、最終的には自己を超えたところに、すべての認識と精神活動の原理たる永遠の真理の光を見た。
人間は神の似像である
「私が存在し、存在していることを知り、その存在と知を愛している。」
私が一つの私でありながら、これら三つのはたらきの統合である、という構造が、御父、御子、精霊という神の内部の三位一体のおぼろげな似像である。
時間論
「私は、幼年時代から現在にまで到達する途上で、少年時代にきたのではないだろうか。それよりもむしろ少年時代が私のところまでやってきて、幼年時代を受けついだのだろうか。けれど、幼年時代も去ってしまったのではない。どこに去ってゆくところがあっただろう。しかも、幼年時代は、もはや存在しなかったのである」(『告白』第1巻第8章)
「ではいったい、時間とはなんなのだろうか。だれも私にたずねないときには、私は知っている(sinemoexmequaerat,scio)。たずねられて説明しようとすると、知らないのであるsiquaerentiexplicarevelim,nescio」(『告白』第11巻第14章)。
「未来も過去も存在せず、また三つの時間、つまり過去、現在、未来が存在するということもまた正しくない。おそらくはむしろ、三つの時間、つまり、過去についての現在、現在についての現在、未来についての現在が存在するというほうが正しいであろう。実際、これらのものは、心のうちに三つのものとして存在し、心以外のどこにも見出されることがない。過去についての現在は記憶であり、現在についての現在とは直覚であって、未来についての現在とは予期なのである。」(同、第20章)
「私の生は分散である」「私は、秩序を知らない時間のうちに分散している」(同第11巻第29章)
「神は、かつては存在したが、いまは存在しない、またいまは存在するが、かつては存在しなかった、とうことがなく、またいつか存在しないであろうように、かつて存在しなかったのでもない、神は全体として偏在する」(『三位一体論』第14巻第15章)
論争
懐疑論への反論だけでなくアウグスティヌスの生涯はペラギウス派やドナトゥス派との論争や異端(マニ教)との戦いだった。 マニ教では悪を存在論的に根源的な所与として理解されたが、アウグスティヌスは悪を善の欠如として理解し、その起源を神中心の秩序の自由意志による破壊の内に認めた。その自由意志はペラギウス派にみられる楽観的見解とは異なり原罪に由来する棄損・阻害されたものである。
そのため善を行うにあたって、意思は恩寵の助けを必要とするが、その恩寵はドナトゥス派とは違い教会を通して直接にキリスト自らによって授けられるものであるとした。
410年に西ゴート族が侵攻しキリスト教に対する攻撃が激しくなる中、それに対抗すべく晩年の大著『神の国』を執筆した。
430年に他界する頃にはヴァンダル族が町の目の前に迫り、やがて北アフリカのカトリック教会は壊滅的な打撃を受けることになった。
しかしアウグスティヌスの多彩な思想は中世をはじめ、近世をつうじて現代に至るまで哲学と神学に大きな影響を及ぼし続けている。
参考文献;
熊野 純彦 『西洋哲学史 古代から中世へ』
クラウス・リーゼンフーバー 『中世思想史』
岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』