バッタのエピソード
何の本か忘れてしまったが、強烈に印象に残っている逸話がある。
2人の人物がいて、一方は精神科医かなにかで、もう一方は患者であったと思う。 治療のために訪れた患者と精神科医が野外で話していて、たしか、患者のほうはあまり言葉をうまく扱えなかったような記憶がある。
そして散歩していたとき、ふとバッタが飛んで、「あ、バッタ」と言う。 この経験が治療に活かされた……というようなエピソードだったかと思う。
木村敏先生の本だったか?と思い、速読してみたが、そのエピソードは見つからなかった。
河本英夫の本だったか……柄谷行人か……どちらもキャラが違う気がする。思い出せない。 ……その後、しまんさんが検索してくれていたようで、もう一度探してみると、見つけた。心理学の本かと思ったら、それは哲学者の西田幾多郎についての本『西田哲学を開く 〈永遠の今〉をめぐって』という本だった。本棚を再び眺めて、「もしや」と手に取り、目次を見ると、第二章が「言葉」であったので、その箇所を繰ると見つかった。自然に引用しておこうかなと思う。 そのエピソードは、沈黙療法の実践家である精神科医の松尾正さんのエピソードであった。 入院七ヶ月ほどたった一二月のある日、いつものように雑木林や池の周囲を二人でブラブラと散歩しているときであった。フッと私が眼前の地面の上に土色のバッタを見つけ、足を止めて彼に「ホラッ……バッタ」と呟いた。彼は「エッ……何処?」と身をかがめ、バッタを探そうとした。私がバッタの方を指さし、「ホラ……あそこに、あそこに」と彼に居場所を教えようとした。しかし、彼はそのバッタをなかなか見つけることができず、次第に二人でそのバッタの方に近づいていくと、そのバッタがピョンと跳ねた。やっとそのバッタに気づいた彼は、「アア……」といった。そしてその後、しばらく二人はその場に立ち止まり、バッタの逃げた方向を見つめていた。その日は、それ以上、そのバッタのことは話題にはならなかったが、次の日から、彼は私が土色のバッタを見つけ、自分がそのバッタに驚いたことを何度も楽しそうに繰り返し口にするようになった。
from 小林敏明『西田哲学を開く』(岩波現代文庫、pp. 52-53)……オリジナルは、松尾正・小坪大作「「知覚される他開」から「生ける他開」へ」の207ページらしい。
なぜ私は西田幾多郎関係の本を開こうと思ったか。それは、このバッタエピソードが、別なエピソードを連想させるものだからである。そのエピソードというのは、山に花が咲いているのを見て悟った僧のエピソードだ。そして、私はこのエピソードが上田閑照と関連していたような気がしていて、そして、上田の本と西田関連の本は私の本棚では隣に置いてある。
私はこのバッタのエピソードが好きで、会話や対話について考えるとき、あるいは実践するときには、頭の片隅にこれのイメージが有る。