バタイユ『ラスコーの壁画』読書メモ
雑にメモしたものなので、これを読んでも内容はよくわからないかも
人類
道具(ものと自分が切り離される、客体化)
労働の誕生 有用性 非連続性
そのあと 芸術の誕生 遊び 有用性を越えたもの 死 性 切り離されたものへの回帰 連続性に回帰
人間は道具の有用な使い方が先行していて、それを越えた使い方を始めることが芸術の誕生
人間と動物をわかつもの
死への意識(これもまた人間を特徴づけるもの)
否定的要素
道具や労働は有用的だが死はそれに亀裂。入れる、それらから外れている
死はあらゆる有用性を無に帰す否定的要素
計り知れないもの
なので禁止、タブー化
同時に聖なるものへとなる 儀式
ある客体 聖なるもの 禁止されたもの 死 死者 骸骨
他の客体 取り扱いやすいもの 道具
ラスコー壁画は、禁止の意識によって整序された世界
などなど書かれてます
参考に
ラスコー洞窟の壁画、ネットだと壁画のひとつひとつを取り出して紹介しているので、あまり全体として感じられないことが多い。
このあたりは全体を撮っているが、全然印象が違う。
これは身廊と呼ばれる場所
https://gyazo.com/d8c67d62e94afa93920578503912cd32
https://gyazo.com/2a95119c6084d4a398152a30be3b07e7
これは歴史的資料というより、やはり絵画で、やはり芸術という感じがする。
バタイユはこの壁画の部分について述べながらそれらの運動による全体について書こうとしているのでその熱意は伝わる。
ちなみに現在ラスコー洞窟には入れない。公開禁止になっている。バタイユの生きてる時代は入れてた。大量の人間が入り込み、洞窟内の微生物のバランスを変えてしまったためか、壁画に損傷があらわれてきたためだ。
現代は洞窟を再現した『ラスコーⅡ』『ラスコーⅣ』が見学できる
p141
後陣
描線の重なり
p143
「井」の底
野牛 鳥人間
洞窟内部の名称を説明すると
ラスコーはこちらの部屋に分かれている
入口
①牡牛の広間(牡牛の主洞)
②軸状ギャラリー(奥洞)
③通路
④身廊
⑤ネコ科の部屋(猫の部屋)
⑥後陣
⑦井戸状の空間(「井」の底)
https://gyazo.com/148f618310e3a3ebf0485860a8d76711
こちらの写真は位置図(2016年「ラスコー展」の図録)
バタイユの本では内部の位置関係がいまいちわかりづらいのでこちらが参考になる
ラスコーの壁画には人間の絵は描かれていない(一部野牛の前に倒れた小さい鳥人間の絵などがある)。動物の絵がほとんどである。
p151
これほど遠く隔たった時代にありながら、現代人にかくも酷似した誕生期の人間性の現存を、このような形で感じ取れるものにした例はいままでに絶えてなかった。だがこの感じ取れる外見は、先史芸術の逆説的性格を、全体にわたって強調し、かつ維持していたのである。すなわち、何万年という時間のあとまで、これらの人びとが残してくれた彼らの人間性の痕跡は、動物たちの画像というものに限られているーーあるいはほとんど限られている、 といっていいのだ。これらラスコー人たちは、予想を越えた人間である現代人とそっくりの存在なのだという事実を、感じ取れるものとした。ただし彼らは、自分たちが棄てつつあった動物性の像をこそ後代に遺すという形で、それをやってのけたのである。あたかも彼らは、彼らが失った動物的優美をもって、生れたての威信を飾らなければならなかったかのようだ。これら人間ならぬものの像が若々しい力を傾けつつ告げているのは、その画像を描いた人びとが、描くことによってついに人間になりきったということだけではない。彼らが、自分自身の姿ではなく、動物の姿を借りて、人間性のなかの幻惑的なものを暗示する画像を作り出しつつ、そういう成果に達したのだということをも告げているのである。
ラスコーの動物壁画は、同じ時代の他の洞窟を飾るすでに広く知られていた壁画につづいて、このことを繰返したのである。しかしその際ラスコーの壁画は、この逆説的事実を、一種の神格化的讃仰のうちに啓示したのだった。
動物を前にして人間を消去すること――この作業が、私たちの想像の及ぶかぎりもっとも完全なものだったという事実に、私たちはいつまでも驚嘆しつづけるのだ。象られた動物が獲物であり食料であったということも、この謙虚さの持つ意味を変えはしない。馴鹿時代の人間は、幻惑的でもあれば同時に忠実とも見える動物の似姿を遺したが、自分の姿を描きとどめるというかぎりでは、肉体的特徴をすべて動物の仮面の下に隠したのである。名匠の域に達するほどのデッサン力を持っていた彼らは、自身の顔を侮蔑していたのだ。人間の形態を許容することがあったとしても、同時にそれを隠そうとした。つまりそういうときは動物の顔を被ることにしたのである。まるで自分の顔を恥じているかのように、みずから姿を現わしたいときは、同時に別の生きものの仮面をつけるのを義務とした。
「獣の幻惑的魅力で身を飾った人間」という逆説は、つねづね、十分に強調されたためしがない。動物から人間への移行は、先ずもって、人間が動物性に対してなした否認であった。今日私たちは、動物から人間を分つ差違に、さながらそこに本質的なものがあるかのようにして執着する。私たちに残存する動物性を思い起させるようなものは、すべて嫌悪の対象であり、禁止の運動に似た動きを引き起す。だが、事実として馴鹿時代の人間たちは、現在私たちが動物に対して抱く恥辱の念を、自分自身に対して抱いていたかのようであった。彼らは別の生きものの顔を自分に被らせながら、裸体で姿を見せ、私たちなら細心に隠そうとするものを露出していた。画像制作の聖なる瞬間には、人間的な態度(俗の時間の労働の時間の態度)と考えられるべきものから、彼らは顔をそむけたように思われる。
動物の絵は人間が棄てつつある動物性の像をそこに残したと言えるが、それは醜く描かれるとかではなく(むしろ人間は自分の姿を侮蔑したのでないか?)、美しく飾らせてある。これは獣の幻惑的な魅力で身を飾った人間である。人間は自分を描くときに動物の仮面を被った。描くという行為の中で、人間が動物から離れるときに否認した動物というその禁止の領域を持ち込んだ。自分たちが隠そうとするものを露出する。
ラスコー壁画に描かれている人間(鳥人間)の絵は、動物に比べて過度に拙劣で、子どもが描くような省略画法に近い。動物に関しては高い完成度に達していた自然主義的手法から、人間だけは除外されているように見えるが、ここにバタイユは人間と動物の表現方法の対立を見る。 ラスコーと同時期のオーリニャック期に描かれる人間の画像は、ラスコーの鳥人間に似た、一般的に不格好なものである。また、どの画像も人間というより、半人間というか非人間というか、半分人間半分動物の姿で描かれている。ラスコーも鳥の頭をしている。それ以後のマドレーヌ期にあたるレ・トロワ・フレール洞窟にある動物半人間の画像をブルイユ神父は「レ・トロワ・フレールの神」と呼ぶ。または呪術師、あるいは精霊=支配者。 p169
オーリニャック人たちによく似ていたとおぼしいマドレーヌ人たちは、自分らが動物から脱却して人間となった、そのかぎりにおいて、力と支配権を握るに至ったことをたしかに自覚していた。自分らの眼に価値あるものと映るような成果を得たとしても、そのとき彼らは、動物たちの知らない労働と計算の助けを借りてそうした成果を手に入れたのだということに気づいていた。ただ彼らは、動物たちにはほかにさまざまな能力があるのだと考えていた。人間の行なう見さげはてた術策を相手にして、比類のない力を発動するような、世界の内密の秩序と結びついた諸能力がである。したがって彼らからすると、労働というささやかな力しか意味しない人間性を強調するのはやめて、反対に、底知れない一世界の全能を放射する動物性を強調する方が、より妥当なことであったのだ。この世界のありとあらゆる隠れた力は、彼らにはまさに、自分たちの上に重くのしかかる「努力」を越えるものと見えた。この重荷から解き放たれるにつれて、彼らは、それらより強大な隠れた力に到達できると感じたのである。こうして彼らは、可能なかぎり、人間的秩序の味気ない規則性から逃れることをえたのだ。彼らはあの蛮性の、夜の、呪術的な動物性の世界へと回帰し、不安のなかで、熱情を傾けて、自分のなかに生れつつあった明晰なもの、散文的で有効なもの、整序されたものをしばし忘却しつつ、そうした世界を造型した。
神々は最初は動物の性質を帯びていた。
ラスコーにある鳥人間の絵(野牛の狩りで倒れた人間とか鳥の仮面を被ったシャーマンとか言われる)
https://gyazo.com/9e92b4078d80a2da8cb720cf45a163c4
レ・トロワ・フレール洞窟にある壁面線刻画の明細表(ブルイユ神父という人が作成さた)
https://gyazo.com/a097bd088627c3916c20fa2136ec514b
p183〜
イヴリン・ロット=ファルクの『シベリア諸民族における狩猟の慣習』の一節は、私には群を抜いて興味をそそるものとみえる。「狩猟者は」とイヴリン・ロット=ファルクは書いている、「動物を少なくとも自分と対等の存在とみなしている。動物も自分と同じように栄養摂取のために狩猟をするという風に見、動物が自分の生活と似たような生活を送っていると考え、同じ型の社会的組織を持つものと考える。人間の優位は、ただ道具というものを持ちこむ技術的領域でしか確立されない。呪術的な領域では、人間は動物が自分たちに少しも劣らぬ力を持つものと考えている。 別の面から見れば、動物は一つあるいは数個の特性において人間に優るのである。肉体的な力、敏捷さ、鋭敏な聴覚と嗅覚、要するに狩猟者の評価してやまないすべての美質において優位に立つのだ。これら肉体的諸力と結びあった精神上のさまざまな能力にも、人間はいっそうの価値を賦与してやまない。.....動物は人間よりも直接に神性と接触しており、自然界の諸力にもより近くにある。 それら諸力は動物たちのなかにこそ好んで具象化するのである。『獲物は人間である。ただ、より神聖なだけだ』とナヴァホ族のインディアンたちはいう。この言葉はシベリア人と同じ口から出てこそさらに所を得たものになるだろう。」
すでに述べたように、栄養源とした動物たちに対して、ラスコー人が今日のシベリア族やナヴァホ族と同じ意識を持っていたかどうか、知ることはできそうもない。だが、以上列挙した文章は、動物というものが無傷の威厳を備え、忙しさに追いまくられる現代人よりも高い水準にあるような世界に、私たちを近づけてはくれるのである。ラスコーの動物たちは、神々、あるいは王たちの水準にあるように思われる。歴史時代に入っても、太古には至高性(自分だけで、一つの目的として完結しているような者の属性)は王のものであり、王と神は混同され、神は獣と弁別できなかったという事実を、ここに指摘しておくべきであろう。ラスコー洞窟に入れば、初期人類のこの原初的真理を決して見失うことはありえない。
動物と神性
至高性(自分だけで、一つの目的として完結しているような者の属性)の話がでてくる。 p188
あのフレーザーに、呪術と技術とを同一視するなどという、不条理なことを考えさせた呪術自体の多義性が、そこに始まるのである。呪術とはつねに、なんらかの利害のからむ成果を追い求める人間の行為である。しかし呪術は、この追求行為のなかで人間がみずからの無能力を知り、技術というものがもはや役割も力も持たず、還元しようのない諸力が支配し好運が拠りどころとするような世界に、全能を付託するとき、はじめて呪術となるのだ。たしかに呪術の作業は成果追求の執着を証すものだが、しかしそれは、もろもろの価値の序列のなかに優先順位を持ちこむこともする。すなわち俗に対する聖なるものの優位、理性の計算に対する欲望の無秩序の優位、つつましい功績に対する好運の優位、手段に対する目的の優位を告げるのである。労働と技術の人間は、結局のところは手段というものに還元されてしまう。そしてその手段のめざす目的が、労働に従属しない存在、技術なき動物存在となるのである。いいかえれば俗的活動は手段であり、聖なる瞬間は目的である。神的なものは、最初から人間的なものの持つ深い意味であった。呪術の作業は、諸手段の勤勉な世界によりも、神的目的の世界に(聖なるものに)より多くの力を与える人間の行為である。そういう人間は、労働という人間的態度とまったく縁のない、動物の姿でこそ表現されるべき至高の力、彼を超える力を前にして、身を低めるのである。 かくて画像制作という呪術的な作業は(ただし、それらの制作は、おそらくみじめな必要性をぬきにして、気まぐれから行なわれたものだろう)、私たちがつねづね手段について(たとえば道具について) 抱く観念とは呼応しそうもないのだ。これらの画像には、動物が持っていたにちがいない聖性というより大きな価値を、人間たちが認めた瞬間が表現されている。おそらく人間は、自分を支配し指揮している、栄養摂取のみもふたもない欲望を隠しつつ、動物の方からの友情を求めたのだ。欲望にヴェールを被らせたこの偽善には、ある深い意味があった。それは一つの至高の価値の認識であったのだ。こうした振舞いの両義性は、より大きな感情を覗き見させるものだった。すなわち人間は、自己よりも高いところまで昇りつめることができなければ、狙った的に到達することができないと判断したのである。少なくとも人間は、何ごとをも計算せず、ついに一個の遊びでしかなく、動物性と弁別することができないような、自分たちを超越する力の水準まで昇りつめるふりをしなければならなかった。
技術が還元できないような力が及ぶ世界に全能を付託することが呪術。これは労働の世界と違い、手段に還元されない。目的やねん。神的目的の世界に(聖なるものに)より多くの力を与える人間の行為である。至高性やねんな。
最後のほうの話
これは大事な点である。馴鹿時代の芸術の準則は、伝統よりもむしろ自然によって(自然の忠実な模倣によって)与えられた。創意が問題ではなく、模倣された自然が問題であるなどということは、おそらくどちらでもいいことであろう。だが、規範が外から受容されたということは決定的だ。このことは、芸術作品がそれ自体において自由であり、中からその形を決定しつつ、因襲に引きずりこみかねないような諸方法には頼っていないことを意味する。同様に、既成の因襲的な観念連合や定り文句が、中から文学的表現を決定することがありうるし、結果としてその表現は、予想外のもの、幻惑的なものを排除され、閉ざされた回路に落ちこむのである。だが、外からやってきて、予期された秩序をくつがえすある突然の作用に呼応するものとして、新しい、爆発的な回路が成立するということは依然としてありうる。 生活様式の面ではほとんど変化らしいものに対応しなかった馴鹿時代は、全体としては、何よりも自然からの外的所与に呼応した(そして因襲には従わなかった)ように思われる。たしかに方法というものはあったし、当時の人びとがたがいにそれを伝承しあったことは疑いを容れないが、その方法が、芸術作品の形を、様式を、捉えがたい運動を決定するということはなかった。第一歩が踏み出されたばかりという事情を考えてみれば、熟練、慣例というものがあまり重みを持たなかったのも驚くにはあたるまい。当時、どんな常習も形成される余地はなかったのだ。生誕しつつ、必然の成行きとして、芸術は天才と呼んでしかるべきあの不服従の、自発性の運動を呼び求めたのだ。 この自由な運動はラスコーでこそ眼にいちじるしい。そのために私は洞窟絵画について語りつつ、発端について語ったのである。これらの絵画の確実な制作年代決定を行なうことはできない。しかし、実際の制作年代がいつだったにせよ、それらの絵画は革新を行なったのだ。それらは、みずから形象する世界をまるごと創り出したのである。
太古の芸術は現在と違い、長い歴史の中でも、伝統や様式化することがなかった。熟練や因襲が重みをもたなかった。
彼らは、自然からの外的所与に呼応していくのみや!
このラスコーの自由奔放さが我々を魅了するぅ!