バタイユ「有用性から外れるものとしてのエロティシズム」とハンス・ベルメールの球体関節人形
ハンス・ベルメールの球体関節人形はまさに女性の肉体を有用性から解放してエロティックなオブジェに帰するようなものなので。※もちろんそれが倫理的な是非はおいといて あとハンス・ベルメールの父親は狂信的なナチ支持者。その父親に反抗して労働を放棄してはじめたのが球体関節人形の制作。要するにハンス・ベルメールの作品というのはあらゆるもの(人間の人生にさえ)に生産性や機能性や有用性を求めるファシズムに対抗するものだったとも見做せるとおもいます。 p.s.トリスタン・ツァラにしてもハンス・ベルメールにしてもバタイユにしてもあのあたりの時期の芸術や思想的潮流は背後に世界大戦(ファシズム)があることが重要だとおもいます。 超大雑把にまとめると、大戦がはじまり理性(機能主義/合理主義/論理的整合性等)にたいする絶望が当時の知識人や文化人にはあった。だからあのあたりは反理性/反知性/反機能/反論理/反意味/反意志みたいなことである程度は括れるようなきがする。
以上、自分がLINEのオープチャットに書いたこと(若干修正しました)
※補足
バタイユについて
痴人さんのコメント(許可済)
LINEのオープンチャットから
僕はニーチェが好きだったのもあって、友達から薦められるとバタイユにどっぷりつかってしまいました。解説書としては、現代思想の冒険者たちというシリーズのバタイユがおすすめです。バタイユの思想をざっくり説明すると、この私という「主体」は常に何かしらを「企てる」。先に目的をおき、現在を来るべき未来のために従属させる。成果を得るために人は「有用性」に執着する。そうして得た富を未来のために貯蓄し、また企てる。しかし、「企てる」ことにおいては、現在という時間を純粋に消費することはできず、また合理的に自身の「有用性」にとらわれるということは、自閉することであり、自身の外へ開かれるという体験から、生の豊穣さから目をそらすことであると。だからこそ企て・有用性から外れたものである文学(詩)、恋愛、エロティシズムは悪であり、至高なんだ、って感じですかね。無神学大全という三部作は言葉という企てに反抗した書物なので体系的ではなく、途中で詩が入ったり、話が飛んだりと読む者を困惑させますね…… ちゃんとバタイユを知ろうとするなら当たるしかないんですけども コメント
ばる.icon最近芸術においての有用性/有用性から外れる、ということについて考えていて、Discordの方を検索していたら骨丸さんのこの文章を見つけた。この意見は僕も印象に残っており、改めて読むとうまくまとまってるな、と思い、アープラノートにも転載した次第である。骨丸さんや痴人さんに無許可で転載しているが、何か問題があれば削除してください。
※痴人さんという方は以前アープラにいた方で、バタイユの思想に精通していた。補足しておくと面白いかな、と思ったので載せてました。