トートロジー
同語反復(トートロジー)
トートロジーは、同語反復や恒真命題と訳されます。日本語訳としては同語反復と訳されることが多い気もしますが、同語反復の場合、実際には同語反復でない場合もあるので、個人的には恒真命題という訳の方がしっくりきます。同語反復の方は、述語の見た目が変わっていても、真になるということは、結局は同語反復だよねという意味合いもあるかもしれません。日本語にすると分かれるだけで、元々のトートロジーという言葉には少なくともこの二つの意味は含まれていると思います。 恒真命題の名の通り、トートロジーは常に真になります。100%真です。例外なくです。
1%でも偽になる可能性があればそれはトートロジーにはなりません。
最初に定義としてまとめておくと、トートロジーは言語規則や記号の規則、論理規則のみにより、常に真と判断できる命題のことです。
「のみにより」ということは裏を返せば、真偽の判断に現実の世界を参照する必要はないということです。
つまり、何らかの規則のみにより真と判断することが可能です。
例えば先日お話したA=A、A=Bを使って説明すると、A=Aはトートロジーで、A=Bはトートロジーではありません。A=Aは記号の規則により常に真と判断できます。一方A=Bという命題は仮に真であったとしても、それは定義や推論、現実の確認などの過程を踏まえた上で初めて真になります。もちろん偽になる可能性もあるのでトートロジーではありません。
では言葉の方で考えてみると、例えば「明日は雨が降るか降らないかのどちらかである」、
これはトートロジーになります。明日雨が降っても降らなくてもその現実に関わらず言語規則からのみ常に真になるからです。一方、「明日は雨が降る」という命題は明日の天気を確認した上で初めて真偽が判断できることになるので、もちろんトートロジーにはなりません。
以上、トートロジーについて説明と具体例を書かせて頂きました。常に真になる命題と言えば、ものすごい価値のある命題のように感じてしまいますが、実際には認識を1ミリも増やす作用がないため、何の役にも立たないという場合も多いです。この前の話にもつながりますが、実用性というよりは、規則を支える縁の下の力持ちというような役割が強いかもしれません。
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