テキストの書き換えについての課題
テキストに対して指摘を受けたときそのテキストにその指摘を反映させて書き換えると、テキストと指摘とのあいだのやり取りのログが消え、そこだけ見ると意味不明になる 実験的に死についての問いに関して爆発的にページを作っている
そのときの感想
同ページで質問や指摘をされると元の文章を書き換えられない
書いてることに対して、当然、意見が投げかけられる
「たしかに」と思うこともたくさんある
だが、「たしかに。よし、その意見を反映させて書き換えよう!」とできない
なぜなら、書き換えてしまうと、他の人がくれた意見や指摘が意味不明になるから
というのも、その意見・指摘によるフィードバックを反映させた文章に対して、すなわち改善されたテキストに対して、「改善点がありますよ」みたいなレスポンスが投げかけられているような形になるから
だから、不完全なテキストが、ログのために、残されなければならないような感じがある
でも、議論するうちに認識はどんどん変わる
この認識の変化を反映させられないって困る
であれば、認識変わったんなら、また改めてページ作って書き直せばいい
そうなると、過去のページと新しいページとでは矛盾することになる
しかたがない
だって考えが変わったんだから
例えば、「エイリアス」のことを「アライアス」だと思って、そう書いているとする
Logseqのアライアスって機能が便利なんすよ〜
というテキストに対して
「エイリアス」では?
というレスポンスがあったとき
「はっ!……ありがとうございます!」と、間違いを訂正するとする
元の文章を書き換えると、次のようになる
Logseqのエイリアスって機能が便利なんすよ〜
「エイリアス」では?
この2行を、過去の経緯を知らない人がみたら、「いや、ちゃんと『エイリアス』って書いてるじゃん」と思うだろう。あるいは、察してくれるかもしれないが。
じゃあ、次のように書けばいいだろうか
Logseqのエイリアスって機能が便利なんすよ〜
「エイリアス」では?
この書き方はスマートに見える。誤字の指摘があり、それを受けて修正し、修正が完了したので誤字の指摘はいわば不要になったために、それを抹消している。これは理に適っている。
だが
久住哲.iconの場合、抵抗がある。なぜか?他の人のテキストを[- テキスト]で抹消するのって失礼じゃないかな😥という恐れが発生するからだ。文字装飾で抹消する他、もう指摘テキストを消してしまうという選択肢もある。でも、(久住哲.iconの感覚では)それはさらに失礼な気がする。間違いの指摘は一種の善である。この善の痕跡を完全に抹消するというのは、その人の善行をなきものにするようで嫌だなあという感覚だ。
この例の場合、誤字だからまだいい。
これが、意見を変えるような場合だと、元のテキストを書き換えてしまうとぜんぜん意味が変わってしまう
このリアクションを反映させてみる
Logseqのアライアスエイリアスって機能が便利なんすよ〜
「エイリアス」では?
この方法は良さそう。なにより、理に適っている。
指摘によってどの程度の規模でテキストを書き換えたのかが直観的に分かるのが良い。例えば、テキストを全て抹消したら、「全体的に撤回したんだな」と直観的に分かる。