テイルズ・オブ・シンフォニアリマスター版シナリオ感想〜残酷なセカイ系
02/22に一応全クリ
ゲーム性がどうたらと語ることはゲームオタクではないので出来ないが、シナリオに関してはある程度ゼロ年代のサブカルチャーに触れてきたので、少し語ることができる。 ストーリー
現在から4000年をさかのぼるはるかな昔、世界は邪悪な闇の種族ディザイアンが起こした古代戦争のさなかにあった。勇者ミトスは聖地カーラーンで女神マーテルと契約を結び、ディザイアンを封印し戦争を終結させ、世界を救った。
時は流れ、封印されたはずのディザイアンが再び現れ、シルヴァラントに恐怖をもたらす。ディザイアンは人間を支配し、拉致した人間を収容する「人間牧場」と呼ばれる生体実験施設を各地に造営するなど、おぞましい所業を繰り広げていた。ディザイアンの支配と世界の衰亡に喘ぐ人々は、「神子」の登場を心待ちにしていた。
物語の舞台は、伝説と共にあるマーテル教会聖堂に近い集落、神託の村イセリアから始まる。ある日、学校でロイドは幼馴染の少女コレットに神託が降りたことを知った。コレットは、マナの搾取により衰退しつつあるシルヴァラントを救うため、神子として世界再生の旅を始めることになる。
主人公のロイドは幼馴染のコレットがイセリアで信託を受けた後、仲間を増やしながら世界再生の旅に同伴することになる。
神子コレットは世界再生の旅の中で、各地の祭壇に赴き、そこで毎度現れる天使レミエルから祝福(天使の力)を授かると同時に人間らしさを失っていく。
食事がほとんど必要なくなり(味覚がなくなり)、次に眠ることができなくなり、身体の痛みがなくなり、ついには声を出すことができなくなってしまう。最後は心と記憶を捧げることになる。
主人公達の先生で同伴者のリフィルはこのコレットが天使になる過程で受ける苦痛を「天使疾患」と呼んでいる。
「コレットが天使になれば荒んだシルヴァランドが救われる」
そう信じて旅を続けてきた主人公ロイドは幼馴染の異変を見て、世界再生の旅が正しいことなのか分からなくなっていく。
旅の途中でコレットを暗殺しようとする藤林しいなが現れ、最終的には仲間になるのだが、彼女からコレットを暗殺しようとする動機が話される。
それによると、見ることも触れることもできないが、お互いに干渉し合っているシルヴァランドの逆世界「テセアラ」から自分は来たのだと話し、シルヴァランドの世界再生はテセアラが(今のシルヴァランド同様に)衰退することを意味することが明らかになる。
つまり「一方の世界が栄えると逆世界が衰退する」
そして世界再生とは、神子が自分を犠牲に女神マーテルを復活させることを意味していた……。
最終的にはシルヴァランドとその逆世界テセリアの両方を救う(2つの世界を統合する)ために奔走することになる。
シナリオについて
2000年といえば、アニメや漫画やゲーム(主にギャルゲー)などのサブカルチャー分野でセカイ系が流行っていた。この作品も明らかにセカイ系に位置付けることができる作品。 東浩紀らによって発刊された『波状言論 美少女ゲームの臨界点』編集部注によると 「主人公(ぼく)とヒロイン(きみ)を中心とした小さな関係性(「きみとぼく」)の問題が、具体的な中間項を挟むことなく、「世界の危機」「この世の終わり」などといった抽象的な大問題に直結する作品群のこと」
であり、テイルズ・オブ・シンフォニアでも、主人公のロイドはヒロインのコレットを犠牲にするか、世界(シルヴァランド)を救うかの二者択一に葛藤する。
多くのセカイ系ではこのような構造が見られる。
例えば、セカイ系の有名な作家・新海誠が制作した2019年の映画『天気の子』でも、主人公の森嶋帆高が(世界を救うために)ヒロインの天野陽菜を見捨てるか、世界を犠牲にするかの二者択一のジレンマに葛藤していた(この映画では主人公はヒロインを救うため世界を犠牲にすることを選択する)。 テイルズ・オブ・シンフォニアではさらにもう一つの現実と相反する世界(テセリア)が想定され、シルヴァランドという主人公達の現実とヒロインという二つの項にプラスして、どちらかといえばヒロインの側にテセリアという逆世界の項が挿入され、より複雑化していると考えることができる。
このように別の並行世界が挿入されているケースはないわけではない。セカイ系の亜種として有名な『ぼくらの』という漫画でも、一連のロボットの戦いは実は子供達がいる世界と別の世界を賭けた戦いだったことが明らかにされる(その戦いに負けた並行世界は消滅する)。 私はやったことはないが、こちらもセカイ系なのかもしれない。
アニメ版では「シルヴァランド編」、「テセリア編」、「世界統合編」と分かれているらしく、このように物語を大きく3つに分けると、数あるセカイ系の筋にまんま当てはまるのはシルヴァランド編だけであるという見方もできる。
しかし、セカイ系のような二者択一構造において世界とヒロインが天秤にかけられたときにヒロインと世界の両方を救うという展開は容易に考えられ(おそらく他にもこのような筋のセカイ系作品がある)、マクロな視点で眺めるとやはりセカイ系に位置付けることができるだろう。→サブカルチャーにおける物語の二者択一構造について 天使や神子というモチーフ
ゼロ年代では「天使」というモチーフが稀に扱われていることを目にする。 例えば、アニメ「灰羽連盟」(2002年)(←これはセカイ系ではないが)やkey作品の名作「AIR」(ゲームは2000年)など。 つまり、テイルズ・オブ・シンフォニアのシナリオライターは安倍吉俊やkeyの麻枝准のような(村上春樹に影響を受けていると公言している)クリエイターの作品に影響を受けているか、もしくは元ネタである村上春樹作品に影響を受けている可能性がある。
神子というモチーフはセカイ系を形作る上では必須の要素となっている。
彼女らは世界を救うための捧げ物であり、上記記載の『天気の子』でもヒロインの天野陽菜は巫女のようなものとして扱われていた。
このように、巫女や神子に限らず、ヒロインに世界を救う強大な能力が備わったりなど、セカイ系にはヒロインに宿命的な要素が加えられることでセカイ系が成り立つと考えられる。
ヒロインに世界を救う強大な能力が備わるケースで代表的なものといえば、セカイ系の代表作品としてよく挙げられる『最終兵器彼女』だろう。上記『ぼくらの』もそれがヒロインではなく宿命的な運命を背負う子供達という相違点があるものの、同じ構造になっていると言える。