ダモ鈴木
https://youtu.be/8NSDgB3lwcc
ダモとはダメのこと
CANのアルバム『Soundtracks』『Tago Mago』 『Ege Bamyasi』『Future Days』でボーカルを担当している
若い頃から冒険好きで18歳(※16歳説もあり)で日本を離れ世界中を旅していた
サハラ砂漠を3日間ひとりで歩いたこともある(らしい) 旅の合間にはギターを弾いて歌を歌ったり(たぶん騒音に近い)、絵を描いたりパフォーマンスをしたりしていた
今はあまり好きでないらしい
本当は漫画家になりたかった
アイルランドから日本に帰る途中でミュンヘンに寄った。その時は日本へ帰って政治家になろうと思っていた ミュンヘンで「ヘアー」というミュージカルに出演する仕事を得る
仕事が退屈だったので路上で大声で叫ぶパフォーマンスをやっていた
当時ミュンヘンのクラブ「ブロウ・アップ」でのショーに出演予定だったCANのメンバー、ホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトが路上で叫んでいたダモを発見して、その晩のステージにダモを誘い、ライブに出演させた ダモ自身はこちらのインタビューの中で、「ホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトが「発見」して、その晩のコンサートにいきなり出演させたと言われてますよね。これは本当なんですか?」というインタビュアーの質問に対して「本当なんです」と返答している この日のライブは暴動が起きたと言われており、その原因はダモの破天荒なパフォーマンスに気分を悪くした観客同士の喧嘩から始まったとも言われているが、真相はよくわからない。ホルガー・シューカイは、その日のダモは「ラウドスピーカーからサムライの大群を吐き出した」と語っている
この日のパフォーマンスでダモを気に入ったメンバーはダモを正式にカンのボーカルとして採用した
CANには1973年まで在籍しそのフリーキーな歌唱はCANの音楽性に大きく寄与した
脱退の経緯、理由はいまだに判然としない
上記のインタビューでは、「バンドがポピュラーになりはじめてきて、音楽雑誌の表紙に出たりするようになったことに抵抗を感じたんです。スター意識を持つようなことが好きじゃなかった。特別扱いされることが好きじゃないんです」と語っている
当時結婚を約束していた女性(のちの結婚)に歌手としてのキャリアを諦めるべきだと説得されたからとも言われている
彼女はエホバの証人の信者で、ダモもエホバに入信していた時期がある エホバの教えにより音楽活動をやめた可能性がある
1975年ごろガンにかかる?エホバは輸血が禁止されているので輸血なしで手術したと言われている(もしくは輸血して奥さんやエホバと縁を切った可能性あり?ここらへんはネットの情報と本で違いがある)
音楽業界から去った後はケルンの近くにある日本企業でサラリーマンとして働いていた
1983年、音楽活動を再開し、ドンクルツィッファーや、ヤキ・リーベツァイトのファントムバンドに参加。1990年代以降、現在に至るまで、世界各国のさまざまなジャンルのミュージシャンやバンドとセッションをするダモ鈴木ネットワーク(ダモズ・ネットワーク)で活動している
2005年にはマーズ・ヴォルタのギタリストとして知られるオマー・ロドリゲス・ロペス率いるOmar Quintetのライブにも参加し、2007年にはオマーとのコラボレートEP『Please Heat This Eventually』を発表している。 2014年に大腸癌と診断された
ダモのドキュメンタリー映画『ENERGY: A DOCUMENTARY ABOUT DAMO SUZUKI』が制作進行中であり、まだ完成されていない?