スイカ(キリスト教関連)
https://gyazo.com/579b9095ef4c6a2c3d506fa7c7effcc7
キリスト教関係の本を読んだら、概要とか用語の説明とか感想とかをこのページに書きます。よろしくお願いします。
自分はいわゆるにわかなので勉強のためのノートのような感じで使っていくと思います。
好き放題にかくので、あまりまとまりがないと思います。
自己紹介
スイカ(melon fields)です。(画像はルネ・マグリットの「リスニング・ルーム」でおそらく青りんごです)
とか(連語)という言葉が好きです。理由はなんかアバウトなゆるさと可愛さがあるからです。
同じような理由でなんか(副助詞)も好きです。
最近は預言や黙示について考えてみたいと思っています。
このページは随時更新していきます。それはこのページが書き途中だということです。
基本的に聖句は口語訳から引用します。(筆者が慣れているというだけで特に意味はない)
-------------------------------------------------------------------
聖書に対する立場
一般的なキリスト教徒の考え方です。こういう立場の人間が書いていますということを最初に明らかにしておこうと思います。
・新約聖書も聖書とみなして考えている。
・聖書に書かれていることは真実である。新旧約六十六巻は、神から人間に与えられた啓示であり、 それはイエス・キリストによって成し遂げられた私たちの救いについて記しているもので、私たちが救いについて知るには、これ以外にはない。(第二テモテ三・一五~一九)
・聖書は、聖書記者たちがそれぞれの書物を記したときに、神が十分で完全な霊感の働きによって導かれたものである故に(第二テモテ三・一六、第二ペテロ一・二〇~二一)、私たちの救いの啓示として全く誤りがなく、神の権威を持った書物である。そのため、聖書は私たちの信仰と生活上における唯一の基準である。
・聖書記者たちがそれぞれの書物を記したときに霊感を受けた聖書は、神の特別な摂理と保護によって、あらゆる時代を通して純粋に保存されてきた。今日私たちが持っている聖書の主要なところは、全く誤りがない。
・聖書をどのように解釈するかというその基準は、聖書の中にある。聖書は神の霊感を受けて書かれた超自然的書物である。その表現を正確に読み解くことができるのは聖霊であって人間ではない。(聖書を解釈するとき、神が私達に与えられた啓示の意味を正しく私たちに教えてくださるのは聖霊であって、その働きを「解明」とよぶ。)人に説明する場合は聖書から引用する。
※単純な例ですが、
勝利を得る者には、わたしと共にわたしの座につかせよう。それはちょうど、わたしが勝利を得てわたしの父と共にその御座についたのと同様である。黙示録三・二一
この句の「勝利を得る者」とは何かを考える時、ヨハネの第一の手紙五・五には
世に勝つ者はだれか。イエスを神の子と信じる者ではないか。第一ヨハネ五・五
と書いてあることがわかります。
--------------------------------------------------------------------
主の祈り
(マタイ六・九~一三)
だから、あなたがたはこう祈りなさい、
天にいますわれらの父よ、
御名があがめられますように。
御国がきますように。
みこころが天に行われるとおり、
地にも行われますように。
わたしたちの日ごとの食物を、
きょうもお与えください。
わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、
わたしたちの負債をもおゆるしください。
わたしたちを試みに会わせないで、
悪しき者からお救いください。
十戒
(出エジプト二〇・二~一七)
「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。
あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三、四代に及ぼし、 わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。
あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。
安息日を覚えて、これを聖とせよ。 六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。 七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。 主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。
あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。
あなたは殺してはならない。
あなたは姦淫してはならない。
あなたは盗んではならない。
あなたは隣人について、偽証してはならない。
あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。
メモ
申命記五章の方にも書いてあります。実は原文では十戒はヘブライ語の禁止命令の形が使われていません。
十戒の否定形は直訳すれば「君は‥‥‥することはない」となる。出エジプト以来の神の恩恵に答え、イスラエルが行うことのありえない項目をあげている。これはアルブレヒト・アルト以来純粋に学問的立場から言われていることである。(引用:関根正雄『古代イスラエルの思想』講談社学術文庫 104 ページ)
キリストによる律法の完成。
キリストの贖い
主の日と安息日
キリスト教では日曜日を「主の日」と呼び、この日に集まって礼拝を捧げます。「主の日」という言葉は聖書中に色々とでてきますが、ここでは黙示録一・十を挙げておきます。
ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしのうしろの方で、ラッパのような大きな声がするのを聞いた。(黙示録一・十)
主の日とは、主イエス・キリストが復活された日のことで、安息日ではありません。
私は、旧約時代の土曜日の安息日は、イエス・キリストを指し示していたものだと解釈します。安息日は、イエス・キリストがこの地上に来られた時に成就しました。
だから、あなたがたは、食物と飲み物とにつき、あるいは祭や新月や安息日などについて、だれにも批評されてはならない。 これらは、きたるべきものの影であって、その本体はキリストにある。 (コロサイ二・一六~一七)
新約時代に生きている私たちは、一週間のうちに一日だけしか安息する時を持っていないのではなく、時々に主イエス・キリストの御手の中に安らうことができるのです。
信仰者としての理想的な個人生活
私(スイカ)が通っている教会の牧師の書いた個人生活の指針を載せておきます。
預言と黙示
ネフェシュとバーサール
ヨブ記とゲツセマネの祈り
おすすめサイト
聖書
ウェストミンスター小教理問答
牧師の書斎
Got Questions 聖書に関する質問の答え
聖書入門.com
おすすめYOUTUBEチャンネル
聖書プロジェクト
(聖書をわかりやすく解説している)