ジンプリチシムス
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『ジンプリチシムス』(Simplicissimus)はドイツの社会風刺週刊誌、文芸誌である。
1896年3月、アルベルト・ランゲンが創刊、1944年から1954年の間中断し、1967年まで出版された。
この雑誌のシンボルとなったのはトーマス・ハイネの描いた赤いブルドッグである。かっこいい! 眉間に皺を寄せて歯をむき出し、いま噛み切ったばかりの鎖を、鋭い爪のある前足で踏みつけているブルドッグの姿が、この雑誌の性格を語っている。要はこの雑誌のスローガンは反権力!俺たちは飼いならせねぇぜ!である。
最初のあいだはせいぜい1500部ぐらいのものだったらしい。しかしはじめのうちはどちらかといえば文学的な色彩の濃かったこの雑誌は、やがて短編小説、風刺詩、ドラマのほかにも、エピグラム、世間の出来事に対する注釈、インタヴュー、パロディーといった賑やかな内容を盛りこみ、それがハイネ、エドゥアルト・テニイ、ややおくれてオーラフ・グルプランソンといった個性的な画家たちの風刺に富んだイラストレーションとあいまって大いに世間の受け入れるところとなった。
『ジンプリチシムス』が、急速に読者層をひろげていった原因のひとつは、ドイツ帝国官憲(つまりはプロイセン官憲)による度重なる発行停止処分にあったらしい。いわば発行停止処分の多さが、この雑誌のセールスポイントだったのである。
1898年に皇帝、ヴィルヘルム2世の風刺的な表紙絵を掲載したことにより雑誌は没収され、社主のランゲンはスイスに5年間亡命し、罰金が科せられた。挿絵画家のトーマス・ハイネは6ヶ月の懲役、寄稿者のフランク・ヴェーデキントは7ヶ月の判決を受けた。1906年にも、編集員ルートヴィヒ・トーマが、記事の内容から逮捕され、6ヶ月間、投獄された。このような紛争は、雑誌に注目を集めさせ、1899年には15,000部、1900年頃には60,000部以上、そして1904年には、刊行部数のピーク85,000部に達するようになる。
しかし風刺の生きのよさという点でも、部数の伸びという点でも、この雑誌の栄光は、第一次大戦の勃発とともに終わりを告げることになる。第一次大戦が始まると、もともとさまざまな社会現象を風刺はしても、その原因を分析するわけではなく、確固とした政治的な主張ももっていなかったこの雑誌から、ドイツ帝国への辛辣な風刺は影をひそめ、 むしろ愛国的な色調が紙面をおおうことになる。やがて第三帝国時代に入ると、この雑誌の有名なポスターとかずかずの表紙絵を描いたハイネは、ユダヤ人であるために編集部から閉め出され、あまつさえいかなる経済的補償も拒否されるというような無残な事態になり、かつて権力への反抗によって多くの人々の支持を受けたこの雑誌は、初めのうちこそはナチスに対する皮肉を込めた文章を載せていたが、そのうちに挙げてナチス協力へとのめり込んで行くことになる。悲しいなあ
そして結局は、1944年、廃刊命令を受けるに至るのである。第二次大戦後、まるでかつての栄光のおこぼれにありつこうとでもするように、同じ装丁で復刊された『ジンプリチシムス』は、しかしたいした反響も呼ばぬままに、一九六七年、最終的に廃刊になっている。うう...
実は二人の超有名なロシア人がこの雑誌についてのコメントを寄せている。一見ほとんど正反対の評価に見えるが、しかし実相を正確に捉えた論評であると言えよう。
『ジンプリチシムス』の数多い功績の中でももっとも偉大なものとして、私はこの雑誌がうそをつかない、という点を挙げたい。それゆえ十九世紀の記述をしようとする際に、二十二世紀あるいは二十三世紀の歴史家にとって、『ジンプリチシムス』は、もっとも重要な、もっとも価値の高い文献となるであろう。この雑誌によって、彼は、今日の社会の状態を知ることができるだけでなく、他のあらゆる文献の信用度をも試すことができるからである。 トルストイ (リヒァルト・クリスト編『ジンプリチシムス一1896〜1941』より)
『ジンプリチシムス』は、知的小市民の受動的な懐疑主義に、すばらしい、そして刺のある表現を与えた。しかし何かに向けて義務づけるということは、少しもしていない。右に向かっても、左に向かっても。ただ記録するだけなのである。色彩と言葉を用いて歴史的袋小路の心理学を表現したにすぎない。 トロツキー (同前)
参考文献:山本定祐『世紀末ミュンヘン ユートピアの系譜』