ジョン・カーペンター『ハロウィン』(1978年)感想
ブギーマンがくるぞ
お前を殺しにくるぞ
この作品以降80年代に低予算スプラッタームービーが大量に作られ、超人系殺人鬼映画が1ジャンルとして定着した!
https://youtu.be/T5ke9IPTIJQ?si=UZ1IH-gQgbZL6Ooh
ブギーマンってのはわりと昔から民間伝承にある存在で、大人が子供たちに「はやく寝ないとブギーマンにさらわれるぞ」みたいなノリで植えつけられる存在で子供たちに信じられ恐れられているやーつである
だから、大人の目を盗んでマリファナを吸ったり彼氏彼女の家にお泊まりしにいったりする背伸びしたティーンエイジャーたちを懲らしめるような基本構造がある
スプラッター映画とかで陽キャが殺されるようになったのは学生時代陰の者であった映画製作者による復讐であるとか言われたりするが、少なくとも殺人鬼がオイタが過ぎたティーンを成敗するパターンは『ハロウィン』が採用しそれ以降定番になってしまったのではないかと思われる フロイトは人間は幼少期に抑圧された忘れられた存在が回帰してくるときに不気味さを感じられると言うが、ブギーマンで襲われるティーンエイジャーたちも、幼少期に教わったブギーマンが現実的に回帰してくる恐怖となるのである マイケル・マイヤーズ(ブギーマン)は理性や知性を持たないと研究者が言うが、動物的というよりは、少なくとも彼のアクションには分別があるよなと思う
この映画の撮影でうまいのは例えば人間は前を向いてる時に後ろから急に肩を叩かれるとびっくりするわけだが、カメラの配置や動きでその感覚を鑑賞者に体感させることを可能にしている
手法あれこれ
ある人物のクローズアップ→画面上には人物のみ目一杯にとる→端に小さく手だけ映り触られる→人物はびっくり→鑑賞者もフォーカスされた人物に注意が向いているので、びっくりする 人物が右に進む→鑑賞者の意識も右へ→左、もしくは別の方向から飛んでくる→不意をつかれびっくりする
人物が探索のためにクローゼットやらをあける→急なテンポで飛び出してくる→テンポの可変によりびっくりする
窓から外を見る→遠くに謎の男がいる→もっかい見る→男はいない
クローズアップとロングショットでの人間に対する視覚効果でどういった印象を与えるかがわかっているのだろう
もちろんどこから何が飛びだしてくるかわからない暗闇の不安も利用しているが、必ずしも暗闇に頼らず明るい昼間でも不気味さを演出している
カーペンターの映画の特徴として、昼間でも若干時間が止まっているかのような静けさを感じさせる
この違和感がカーペンター映画の不気味さにつながっているのだが、この辺はどうやっているのかはよくわからない
音楽を過剰に流さず映画全体にスピード感やリズムを作らないってのはひとつあるだろうけど、それだけではないだろう
カーペンターは音楽も使い方もかなりミニマルである
音楽は電子音楽で、不気味な旋律とリズムだけが反復される構造になっている その音楽を不意に流したり止めたりで効果を演出している
実はカーペンターの映画に流れる音楽はカーペンター自身が作っている
SEもブギーマンの手が出てきた瞬間に「テン!」「テテン!」とか流れるだけである
https://youtu.be/pT4FY3NrhGg?si=Z5QAiphXfC7j-YLU
ところで、最初にこの映画はスプラッター映画の金字塔と言ったが、あまりグロくはないし、残酷描写も少ない
これより以前に作られたハーシェルのゴアムービーとかのがよっぽど残虐だと思う というか、ブギーマンと戦うシーンもかなりあっさりしていて、女の子が刃物でブギーマンに不意打ちして「ザクッ」「バタン」「ん?倒したん?」って感じであるから、派手な描写が好きな向きには向いてないかも
私はこの抑制された雰囲気、好きであるが
そもそもカーペンターの映画はグロテスクな殺人映画を作りたいというよりは、人に何か得体の知れない不気味さを体感させること、それに集中しているような気がする。普段の日常から少しズレた瞬間があって「なんかよくわからないけど不自然だな」という雰囲気
この辺は『遊星からの物体X』も同じであるし、『ゼイリブ』なんかもテーマは全然違うが世の中に漂うなんかわからないが「得体の知れない不気味さ」を体感させるってのは根底にあるわね。