シュルレアリスムとは何か
シュール:シュールレアリスムの略。写実的な表現を否定し、作者の主観による自由な表象を超現実的に描こうとする芸術上の方針。超現実主義。」新明解国語辞典「シュルレアリスム」
ここに書かれた定義の二つの間違い
写実的な表現の否定ではない
「作者の主観による」とあるが、むしろ真逆
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実際には、シュルレアリスムはむしろ主観というものを排し、客観に至ろうとする思想である。
日本の傾向であるが、「シュルレアリスム」という言葉を「シュール」と略しちゃったのも問題。「シュール」という言葉が独り歩きしているのは日本だけ。
フランス語の「シュル(sur)」を日本語に訳すと「超」で、「超える」「超脱する」というニュアンスになりがちだが、たとえば「過剰」「強度」という意味も含んでいる。むかし瀧口修造が書いていたことでもあるが、「超現実主義」の「超」は「超スピード」に近いんじゃないか。
超スピードと言った場合にこれは猛烈に速いスピードであり、段階の差しかない。
それと同じで「超現実」は現実とつながっている。シュルレアリスムを理解する言葉の一つは「連続性」である。
シュルレアリスムは「レアリスム(現実的)」に対する「シュル」ではなく、「シュルレエル(超現実)」の方に主眼がある。つまり、レアリスムを超える態度というわけではなく、むしろ「シュルレエル」に至ろうという態度である。
私たちはもともと謎をはらむ、つかみどころのない時間空間のなかに、現実と称するものを惰性的に見つけ、それでなんとか「現実生活」をやりくりしているのが現代人の特徴。ところがそれは主観的な約束事であり、客観的な現実ではない。そんな日常の約束事と付き合っているうちに、なにかふわっとした、見たことのない、未知の驚きを呼び起こす現実があらわれたというようなときに、「超現実」と呼ぶべきではないか。