シミュラクルの戦略
恐れることはない。とにかく
「盗め」。世界はそれを
手当り次第にサンプリングし、
ずたずたにカットアップし、飽くことなく
リミックスするために転がっている
素材のようなものだ。
シミュラクルの間題を単なる
ノスタルジーの問題としてではなく、
新たな前衛を構成するための武器として
変形すること、あるいは
シミュラクルのデジャ - ヴュを
ある種のユートピアへとむけて
唯物論的に提示することーー
それをここに示してみせよう。
『増補 シミュレーショニズム』p116より
椹木はいきなり「盗め」と言う。
「シミュラクルの問題を」→シミュラクルの問題とは?
ポストモダンの社会では、作品や商品のオリジナルとコピーの区別が弱くなり、そのどちらでもない「シミュラークル」という中間形態が支配的になると予測していた
今日の消費社会における諸事物は、プラトン的な「オリジナル」と「コピー」(「本物」と「偽物」)の対立において存在しているのではなく、ただその「模像(シミュラークル)」の循環のみによって存在していることになる
と書いてある。
シミュラクルの問題とは、オリジナルとコピーの区別が弱くなる、オリジナル信仰みたいなんが失われる問題を言ってるのか。
ノスタルジーは、「過ぎ去った時間・時代を懐かしむ気持ち」みたいなやつだが 武器として変形すること
たぶん、現代のシミュラークル(模像)の状態を問題とせずに、自分の武器として変形させ、なんやかんやしようぜみたいなこと言ってるんだろう。
シミュレーション・アートしようぜ
「シミュラクルのデジャ - ヴュを」→シミュラクルのデジャブ?
ここもよくわからん