コーヒーハウス
https://gyazo.com/7c931ce481a8abc2f3cc7172b5fe5d07
1664年のコーヒ・ハウス|File:17th century coffee house.jpg Wikimedia Commons
コーヒー・ハウス(Coffeehouse)とは、17世紀半ばから18世紀にかけて、イギリスで流行した喫茶店で、社交場の機能も兼ね、大きな社会的役割を果した。 コーヒー・ハウスは16世紀半ばに誕生し、17〜18世紀に大流行した喫茶店。
社交場としての機能ばかりでなく、情報交換の場であり、文学や芸術、経済、政治に大きな影響力を及ぼした。
/icons/hr.icon
イギリスで最初のコーヒー・ハウスは、1650年に大学町のオクスフォードに誕生したが、その2年後にはロンドンにもでき、たちまち大流行となった。1700年前後になると、ロンドンだけで数千軒が営業していたといわれている。
コーヒー・ハウスでは、もちろんコーヒーが売られたが、ヨーロッパ外からきた紅茶やチョコレートも売られていた。これらの飲み物には、かならず砂糖が入れられたので、コーヒー・ハウスは砂糖を売るところでもあったといえる。タバコなど、海外からきた目新しい飲み物や嗜好品もここに集合していた。
また、コーヒー・ハウスは何よりも、人びとの社交の場、情報センターだった。紫煙濛々とする一室で、当時のイギリス人たちは友好をあたため、情報を交換し、互いに批判し合い、議論し合った。
多少の身分や経済力の違いは問題にしない「自由」の雰囲気があった。
しかし多くの場合、女性は出入りすることが出来ず、男性客のみが対象だった。
その結果、近代文化といえるようなもののほとんどが、このコーヒー・ハウスから生まれることになった。
コーヒー・ハウスやそこで提供された砂糖や紅茶、コーヒーは、近代文化の誕生を助ける助産師のような役割を果たした。
実際、コーヒー・ハウスで生まれた組織でもっとも有名なものに、科学者が集った今日にも続く王立協会がある。 科学者ロバート・ボイルや建築家クリストファー・レンがその創始者。ニュートンも、この協会の会長をつとめた。
十七世紀後半のイギリスでは、彼らを中心に多くの科学者が出現し、物理学をはじめ近代科学の基礎が確立したので、歴史家はこれを「科学革命」と呼んでいる。 情報交換は科学に限らず、コーヒー・ハウスでは情報産業、つまり新聞や雑誌が発達した。
この頃にはじめて誕生した新聞は、そのニュースをほとんどコーヒー・ハウスに集まった人びとから取材していたし、新聞そのものも、コーヒー・ハウスで知識人が大声で読んで聞かせるものだった。
コーヒー・ハウスで交換された情報は、経済的にも重要な意味をもった。
この時代に、イングランド銀行という銀行が創設され、国債や株のような証券類が世の中に出まわりはじめた時代だったが、株などの価格についての情報もここに集まったため、ここから証券会社や銀行、保険会社なども生まれた。 文学や芝居、音楽の話をするコーヒー・ハウスも大勢登場した。
また、文学作品についての評価がコーヒー・ハウスの談笑のうちに決定された。
極めつきは、コーヒー・ハウスは政党の誕生に大きな役割を果たした。
王政復古期には、トーリ派とウィッグ派という二つの「党派」が生まれ、政党政治の基礎が築かれた。