キッチュ
低俗なもの、悪趣味なもの、陳腐なものなどを意味する。もともとドイツ語の「verkitschen(低俗化する)」を語源とするが、英語の表現としてもすでに長らく定着している。言葉としての「キッチュ」は、上に挙げた「低俗、悪趣味、陳腐」とある程度まで類似性を保っているものの、正確にはそれらのいずれとも異なっている。なぜなら、「キッチュ」はある対象に付与される安定した属性というよりも、むしろ他のものとの関係においてこそ意味をもつ属性だからである。たとえばクレメント・グリーンバーグによる有名な論文「アヴァンギャルドとキッチュ」(1939)は、いわゆる正統的な美術史を更新しうる質的強度をもった「前衛的(アヴァンギャルド)」な芸術に対して、それに相当しない「後衛的(リアガード)」な芸術や大衆文化一般を「キッチュ」として一蹴した。グリーンバーグの議論が示唆するのは、ある作品ないし製品が「キッチュ」であると呼ばれる際には、「キッチュ」ならざる「趣味のよい」もの、「真正な」もの、要するにその対照物がつねに前提とされているという事実である。むろん「低俗、悪趣味、陳腐」といった形容が、そうした対照物を欠いているわけではない。しかし「キッチュ」に関しては、その相関項としての時代的、文化的な前提がとりわけ重要視されるのであり、その点において他の美的範疇とは区別して考える必要がある。グリーンバーグ自身は、この「アヴァンギャルド」と「キッチュ」の関係を固定的な対立(高級/低級)として捉えていたふしがあるが、この点は今日から見れば再考の余地がある。著者: 星野太