カイザーのグロテスク論
突如、われわれになじみ深い世界が変貌してしまうとき、われわれは恐怖に駆られ、生の不安にさいなまれる。
グロテスクなものは疎外された世界である。『グロテスクなもの』
だが、その世界の疎外を引きおこした主体はなにか。究極の恐怖とは、この問いに答えることができないという事実にある。
名づけうるならば、それはグロテスクの本質を失う。
グロテスクなものとは、不可解で「非人称的なあるもの」の表現であり、パウル・アンマンが非人称主語として規定した「幽霊現象的」なエス Es の表現である。
グロテスクなものは、夢みる者の幻視または世界を冷ややかにみつめる視点の二つのパースペクティヴから生み出され得る。
同時に、うまく芸術的に表現されたグロテスクなものは、われわれに解放をもたらす。
グロテスクなものの表現はこの世において魔人的なものを呼び出しつつ追い払うという試みである。
バフチンはグロテスク・リアリズムの観点からこれを批判した。
#ヴォルフガング・カイザー