オーベナウス考察(😖)
その1
「カラーがオーベナウスにまた行くことはあるか」というような答えが二択で済むような問いではなく「カラーがオーベナウスに行かなくなったらカラーは何を取り逃すのだろう」というような複雑な問いに答えられないのは、この問いが現実・事実に即したものであるところに原因があるのかなと考えました。
現実に基づいて問いを立てるとき、無数の起きた事実・起きるであろう可能性を考慮しなければならないので、真の意味で問いに答えることが不可能であると主張していると読みました。
といってもこの場合「行く」という小説(フィクション)内の現実なので、……というところでいったん行き詰りました。
その2
この主張はどういう立場を攻撃しているのか?
複雑な問いに答えられると思い込んでいる立場
その3
ですが私はしかしカラーがオーベナウスに行かなくなったらカラーは何を取り逃すのだろう?という問いにどう答えるべきかを解明するところまで行こうとは思いません、とエーラーは言う、けれどもその解明抜きにはこの問いには、つまりどのようにこの問いの答えに、それどころかそもそもどのようにこの問いにたどり着いたのか、を解明すること抜きにはこの問いに答えることはできないでしょう。
エーラーのこの言葉は興味深いです。
これを応用すると、われわれはこの主張にどのように反論なり疑問なりなんなり投げかけるべきかを解明する必要があり、それにはまずどのようにこの問いにたどり着いたのかを解明することなしには答えを出せない。
しかもエーラーがお手本を見せてくれるのかと思いきや、エーラーはそこまで行こうとは思っていない。
それは難しいし、間違っているから?
その4
もしエーラーの主張について問いまたは答えを立てられたら、エーラーの主張に対する反証になるのではないか。
その5