エイゼンシュテインによるモンタージュの考え方
いい機会なので、エイゼンシュテインの『映画の弁証法』を読んでみてるんですけど、これもおもしろいですな。この本は映画監督であるエイゼンシュテインという人の、映画を通じたより思想的な概念が入り込んでいると思うのでアープラにいる人にはおすすめできるかもしれないです。
クレショフ効果の話がありましたが、クレショフは例えば、人間には男のショット→食べ物のショット(食欲)、とか男のショット→裸に近い女のショット(性欲)というような連続したショットに意味づけしてしまう能力があるので、そのような効果を利用して、ショットの連鎖によって意味の繋がりをもたらしていくような考え方。こういうショットの連鎖による意味づけをモンタージュと考えている。
モンタージュというのはフランス語で「組み立て」みたいな意味らしいですが。映画で言うモンタージュは、その映像編集の基礎みたいな話ですかね。ただ作家によってモンタージュの考え方は違ったりするようで。
エイゼンシュテインはクレショフによるショットの連鎖のモンタージュを、ある支配的徴候にもとづいた手法として批判し、もっとショット内における各構成要素(形態、量、照明、速度、素材、等)の衝突による新しいモンタージュの表現を追求していた。クレショフがあるショットを「ひとりの男」とコード化する前に、エイゼンシュテインはそのショットの断片、諸要素、それらにより引き起こされる刺激をより細かく分析して作品に生かしていくみたいな感じでしょうか。ショット内のみならず、ショット間の衝突、シーン間の衝突、映像と音声の衝突、主題と美術の衝突、役と演技の衝突など、映画というメディアによって起こるさまざまな衝突による新しい複合的なモンタージュ。
『古いものと新しいもの』のモンタージュは、この方法によって構成されている。このモンタージュは、特殊な支配的徴候にもとづいておとなわれているのではなく、個々の刺戟のすべてを通じてあたえられる総括的な刺激を、その指標としている。それはショット内部におけるオリジナルなモンタージュ複合体であり、個々のショットがそなえているそれぞれの刺激の、相互間の衝突と結合とから生ずる、モンタージュ複合体である。
『映画の弁証法』より
モンタージュは衝突だとエイゼンシュテインは言う。そもそもあらゆる芸術の基礎が衝突=闘争であるとも言っている。