ウボァーナーパーナ・サティ
身体と共に呼吸する p15
p23 気づきは鏡、映し出すだけ。一瞬。偏見がない。人生への参加形態の一つ。親密な心。合一。
p25 気づいていれば口笛は吹いて良い
p28 五感会議
p30 息をただ見つめる。コントロールしない。深くしようとしない。
p35 どこで見つめるか。決まってない。ただし一貫する。次第に全体に広がる。
p37 「複雑にするな、そして現在の瞬間にしっかりとつかまっていろ」
1.2. 息を(長く|短く)吸っているときは p46
p48 何かを獲得しようとしない。瞑想にがっかりしたら獲得しようとしている可能性が高い。受容せよ。
p49 心がさ迷っても自分を責めずに戻ってくることが大事。
p52 さ迷った心を見るのが修行。優雅に戻ってくることを学ぶ。いつも正しくやろうは妨げ。
3. 全身を感じながら p58
息を見つめていくうちに身体がどうなっているか気がつくようになる。第三の考察へ。
p58 呼吸は背景へ。
p62 美しい体への崇拝と身体への嫌悪は表裏一体。仏教は中間。息に基づいて執着しない程度に体の欲求を叶えてあげる。
p63 体の各部位の感覚を経験する。補助的な修行として各部位に反省する。感謝。
p64 心と身体と呼吸をひとつにまとめる効果。観察者と観察されるプロセスの境界が消えていく。
p66 体を理想化する態度が苦しみを生む。死体。
4. 全身を静めながら p68
伺(ヴィチャーラ) 鑑定すること、心が対象への興味を持続させる能力。 p71 こうした至福は内面から出てくる。しかし外的要因の依存が減るだけ。仕事も人間関係も必要。でも絶望には陥りにくい。でもこれが罠、執着にもなりうる。世界から引きこもり坐りたいと思うようになる。物静かな愚か者。
それらも現れては消え去っていくことを理解しよう。静寂も楽も求めない。
5.6. 喜悦・楽をかんじながら
花はしおれる(喜悦や安楽の終息したあと、手放すことができるか?)
今度は便所掃除(すべての生活から学べる)
感受のより大きな世界(すべてのこころの入り口「感受」を見つめることで連鎖を断つ)
生徒の準備ができた時、先生は噛み付く(蚊)
7. 心のプロセスを感じながら
感受と心
心のプロセス ・・・ 感受、ラベル付け
感受・・・快、不快、中性。▷ 行動
ラベル付け・・・自己同一化の問題
学習障害の男の子のエピソード
感受とひとつになる(自意識が私達と対象を隔てる。修行が進むと観察者は消える)
無為であれ(鐘がなり努力をやめたとき、瞑想する主体が存在しない状態を体験した)
8. 心のプロセスを静めながら
心のプロセスを鎮める
何も感じないことではない。感じたことによって支配されることがないということ。
薄暗い部屋の中でロープを見て蛇だと思うこと
逃げ道はない
岩を押し上げる
9. 心を感じながら
蛙のように坐る(静かでありつつも油断せず注意を配った状態)
心の毒