ウィーンとダダイズム
ダダ運動年表史
にはこのような記述がある。(1920年)
ウィーン
,1月
ハンガリー
のソヴュト共和国崩壊後,敵対的な言論活動を行ったかどで逮捕されていた
コシャーク
が,釈放され ウィーンに亡命する。ハンガリーの前衛的なアクティヴイストの多くが,同じようにウィーンへ移動,ウィーンはその後しばらくの間,
構成主義
と
ダダイズム
の中心地となる。
コシャークとは、
ラヨシュ・カシャーク
のことだと思われる。