イライラした際に捨て台詞を脳内発声することのススメ
書いた人:夜詩痕(Yoruuta Ato).icon
本日苛立ちや不快感を覚えたので、考えたことを少し書く。
主題はタイトル通り、イライラした際に捨て台詞を考えることで怒りや無駄を抑えられるのではないかと提唱することだ。
戸田久実の『アンガーマネジメント』によれば、イライラした際はまずそのストレスを1~10までの度合いのどこにあたるのかを考えるとよいそうだ。過去のストレスとの比較をすることだけが目的ではなく、ストレスを感じた際の怒りというものは生物的に素早く反応してしまうため、それを一度落ち着ける目的もある。このメソッドを下敷きに、タイトルのようなことが効果的に使えないかというのがここでの試みだ。 そもそも私の考える捨て台詞とは何か。それは相手などの苛立つことや問題となることを簡潔に表し、それ以上を述べない、考えないようにすることだ。
怒りとは不必要なものではなく、人間社会においては自分が何を重視するのかということを自分が話す以上に表すものだ。先の書籍でも、同様のことが書かれている。だからこそ、怒りをすぐに抑えるだけでは問題は再度生じる。構造的な問題・自分の持つ信念を確認するという生産的な行動を起こしながら、怒りによる衝動に駆られないようにすることができるのではと考える。
また度数の高いストレスは生活で幾度思い起こされることだと思う。その度に、それは論理的に間違っている!や気分の不快さを再び持ってくるのはストレスを再生産してしまうあまりよくないことだ(仕方もないが)。そうならないためにも、あらかじめストレスを感じたときに作った捨て台詞を再利用することで、それらのストレスを感じる物事を想起・思考するコストを省けるのではないだろうか。
そしてなんといっても、捨て台詞ってかっこよくないですか?!というお話。ジョジョの空条承太郎やジョルノ・ジョバーナみたく、スタンドで連打した後に述べる決め台詞みたいな気持ちでここでの捨て台詞という言葉を用いている。アリーヴデルチ(さよならだ)。
とはいえこの方法、提唱する私自身は上手くいっていない。青二才のガキなので。
余談。
偏見や差別をする人間などにはどう対処するのでしょうね、アンガーマネジメントは。あくまで有用だから使っているだけで、感情を管理するという字面に対してあまり気分はよくない。寛容?人間側が裁かない?何をすればよいのだろう。(スピリチュアル的には同じ志向性同士が集まるから問題ないらしいが、本当か??)