アープラ教義学という発想
ここでの「哲学」とは、なんら前提を設けずに、理性や真理にもとづいて考察するような行為のこと。
いっぽう「教義学」とは、特定の前提の上で、その制約のもとで考察をすること。
例えば、「ニワカを排除しないコミュニティ」という理念があるところ、
「なぜニワカを排除しないのか?」という哲学的問いを管理運営論に持ち込まないという態度のこと。 この問題を理論的に考察するのはよいが、実践には持ち込まない。
このテーゼを相対化せず、絶対化すること。
この傾向を更に突き詰めると、管理人教義学になる。これは、歴代管理人の発言全体を絶対条件と見なすという原理主義的な態度。 これよりもう少し穏当になると、初代管理人教義学となる。これは、初代管理人の発言を不変のベースとして考察してゆく態度のこと。これは会長の超独裁が絶対規則にあるので、「管理人教義学」よりは理にかなっている。(骨丸原理主義) 最も穏当なものは、「絶対規則研究」という立場。これは、絶対規則チャンネルの内容を絶対条件として、管理運営論を考察する態度。絶対規則は会長以外変えることができないので、この立場は現実的であるとさえ言える。(もちろん、哲学的態度のほうが現実的であるけれど)