アープラ史(民明書房版)
怒られそうならやめます
略歴
また、アープラ民の稗田阿礼によってアープラの存在は歴史上の表には出さず秘密結社になることが決まり、歴史書には掲載させないように方針が決まる 大江広元ら公家衆が鎌倉に移り、関東にもアープラが形成、このときに吾妻が訛ってアープラと呼称されたのが名前の由来と言われる 西アープラが衰退する
東アープラと西アープラの対立から戦端が切られて小田原征伐になる 蛮社の獄のさいに、幕府から東アープラが敵視され弾圧される その際に長年の対立相手だった西アープラからの援助の手が加わり西側に友好的に合併される形で東西アープラが1つになる
開国後、各地のアープラ民が交流や海外留学を通じて倒幕の機運が高まる 戦後に戦時協力をしたと疑われて、アープラに解体命令がくだされる