アキ・カウリスマキの映画について(その2)
1990年の映画
https://gyazo.com/da64353afea0f914c7c2cb1ea8199494
この作品にはジャン=ピエール・レオーが出ている。ジャン=ピエール・レオーって誰だよって人に説明すると、13歳でフランソワ・トリュフォー監督の『大人は判ってくれない』でデビュー、思春期の非行少年を見事に演じ切り、以後ヌーヴェルヴァーグを代表する俳優として様々な監督から寵愛されてきた名優である。そんなレオーがフィンランド人作の映画に出ており、なかなか珍しい?このとき45歳ぐらいか。ちなみにこの映画にはジョー・ストラマーも出ている。 マージ・クラークは華やかさを持った女優で、カウリスマキ作品の中では結構珍しいタイプだろう。
上の似顔絵は下手なのでよくわからないかもしれないが、レオーはハンサムだ。そんなレオーがこの映画では孤独な冴えない男を演じている。
https://www.youtube.com/watch?v=yqSNU3oCi5s
なぜかロンドンで暮らしている友達もいない孤独なフランス人(レオー)は理不尽に職場を解雇される。絶望して自殺を図るもことごとく失敗した彼は、ギャングのアジトを訪れて自分自身の殺害を依頼する。殺し屋に殺されるのを待つレオーは、とある酒場で花売りの女性(マージ・クラーク)に恋をし、生きる希望を取り戻すが、殺し屋は迫っていた。そんなお話。
今回も敗者の物語である。カウリスマキは敗者を描く。
今回は特に悲痛である。なんせ主人公は自殺を図るのだから。主人公はロンドンに住むフランス人(しかもフランスでみんなに嫌われたのでロンドンに来た)で、異邦人である。カウリスマキは社会にうまく"乗れない”人間を描く(もしくは”乗れない”社会全体を描く)が、のちに移民の問題を描くようになるのは自然のことだったのだろう。
そんな映画だが今回も全体がユーモラス、見ていて暗い気分にはならない。人も死ぬのだが。やはり映画的。
照明の使い方がイカしていて、今作は殺し屋の存在といい、往年のノワール映画っぽい雰囲気がある。