ゆる民俗学のサポコミュで募集した”鯨”に関する民俗【まとめ】
※なにかクジラに関する知識があったらカキコしてもろて
ちょっとズレてしまうかもですが「生まれ変わって富をもたらす存在になる」という考え方に関連したことを…
家のルーツが和歌山県の太地町という鯨漁で有名なところで、法事で和歌山に行った際本で読んだか祖父母から聞いたかは忘れてしまったんですが
「白痴の者は町の皆で面倒を見て、幸せに生を全うすると寄鯨に生まれ変わる」(寄鯨よりくじらは負傷や座礁などで浜に打ち上がってくる鯨のこと)
というものです。
鯨漁のある別の地域でも似たような話があるようです。
お詳しい方いたら補足お願いしたいです。
同じく祖父母から聞いた話で
「大飢饉の年に子連れの大きなセミクジラが現れたので総出で捕りに行くも、そのセミクジラが強すぎて苦戦。
何とか倒すも重すぎて沖から帰ってこられず、そうしている内に海が荒れ遭難し100名以上が命を落としてしまう」という出来事があったそうです。
「大背美流れ(オオセミナガレ)」と呼ばれてると教えられました(ネットで検索するとただ「背美流れ」としてるところもあり)。
そしてことわざに
「背美の子連れは夢にも見るな」(凶暴だし子供が育ってからでないと個体が減ってしまう)(大背美流れ以前からあった言葉だそう)
「鯨一頭で七浦潤う」(この浦は「入り江」ではなく「海辺の村」の意味で、7は多いことを示しているので、とにかく1頭でも捕れたらそれだけの人間が生きてゆけるくらいだったということらしい)
などがあり
1頭の寄鯨でも大きなリスクを取らずに富を得ることができる重要なものだったことから、精神疾患のある方を支える福祉的な役割のある言い伝えに結びつけた人たちは賢いなぁと思いました…
日本じゃないし求めているのと違ったら申し訳ないのですが、メルヴィル「白鯨」の冒頭は読んでみたらいいかも。鯨に関する言い伝えとか記録とかがこれでもかって列挙されてるので。
メルヴィル「白鯨」 kindleアンリミテッドであったので読む
夢枕に立ちがちなものとしてご先祖さまやら聖徳太子やらがありますが、自分は鯨がすぐ思い浮かびます。伝説としては和歌山、長崎、宮崎などに点々とあるものらしいです。
先程投げたお話と関連しています。
母鯨が漁師の夢に現れ、「今度そこの近くの海を通りますが、子供がいるので(子鯨を連れて通るパターンと身ごもっていて出産場所を探しているパターン、どこかにお参りに行きたいから通して欲しいと言うパターンなどがある)捕まえずに見逃して下さい」とお願いしてくる。
無視して捕まえてしまった結果不吉なこと(海が荒れその船が沈む、不漁続きになる、疫病が流行る、奇形児が誕生するなど話によって色々)があり、鯨供養碑を建立して祀ることにした。というものです。
対してこちらはネットや本では見つからなかったのですが、ちゃんと夢を踏まえて見逃した結果、良い事(大漁の年になったパターンや、またその親子が夢枕に立ってお礼を言いに来るパターンなど)が起きるという話も口承ではあるのではと思います。(子供だった自分に聞かせるために親戚が気を利かせて、人が亡くなる流れなどの残酷な部分を改変した可能性はあります)
日本昔話 クジラといのしし
Podcast
https://gyazo.com/b1d7fb2395186752d322bb2c60cbab6b
役に立つか分からない&汚い&連投(忘れないうちに…)ですみません。
先日投稿した夢に出る鯨の話について、いい加減なこと言ってたらまずいなと思い近場の図書館とネットで探したところ想像を上回る数、話のパターンが出てきました。
かつ自分が聞いたはずの太地町が舞台の話と、見逃して富を得るパターンの話が見つからず焦っていたんですが先程無事みつけました…(1番上の段です)
(クジラが座るってどういう状態…?)
https://gyazo.com/9807f242c92466c36311c94d9e5575a8
今まで親族(遡ると先祖は鯨漁をしており、今も和歌山の太地で魚屋さんをしているそう)から聞いた鯨知識や貰った資料をまとめたり、新しく調べたことを整理したい。
鯨墓、鯨塚、鯨碑
寄鯨の戒名、法名
鯨鳥居
古式捕鯨の船の構成、柄、役割
捕鯨にまつわる苗字
ザトウクジラの生態
髭鯨と歯鯨の骨格の違い
痕跡器官(後ろ足)
鯨骨生物群集
昔、太地浦(和歌山県東牟婁郡太地町)に代々鯨捕りを家業としていた、この浦では一番の腕前をもった佐吉という漁師がいた。
その佐吉は或る夜寝ていると、何処からか「佐吉さん 佐吉さん」と呼ぶ不思議な美しい声で目を覚した。すると枕元に大きい鯨が座っている。驚いた佐吉は、震え声で鯨に「いったいどうしたことか」と尋ねた。
すると鯨は、やさしい目をさらにやさしくして、今にも泣きそうにして「実は、願いがあって参りました。佐吉さん、明日この沖を私が仔鯨を連れて、熊野権現様へお参りにまいりますから、どうぞ見逃してやって下さい。御恩は決して忘れません」と言い終るか終らないうちに、鯨は姿を消してしまった。
やがて夜がすっかり明けて来ると、はるか沖の方を仔鯨を連れた鯨がゆっくりと泳いでいた。
その鯨を発見した浦の人々は、鯨を捕るべく舟を出そうとあせっていた。その時、佐吉はじっと沖を眺めていたが、昨夜の出来事を思い浮べて鯨を捕ることをあきらめ、家路をたどった。
そして、翌年の同じ日にやって来た鯨の大群を佐吉は捕らえて、都に迄ひびく程の大金持になった。
浦の人々は、いまも佐吉のことを語り伝えて、鯨と熊野権現様の御利益の大きさを、改めて思い知ったといろ話である。
これは探している間に自分が考えた事なのでただの想像なのですが…
夢や漁に出た沖で、親子鯨orはらみ鯨に「見逃してくれ(場合によっては目的地に行った帰りなら捕っていいと譲歩してくれてる)」と言われたにもかかわらず捕ってしまい、何らかの祟りを貰うパターンのお話が和歌山で少ないのは、太地で大背美流れ(1878年)という事実ベースの強烈なお話が出来て、それまであった前者は語られなくなってしまったからでは無いかな…?と
三重、佐賀、長野などは似たようで少し違うパターンのお話が町単位で発展したような感じで、何種類も市区町村HPや地域誌に度々(近年も)語られているので、背美流れがなければ和歌山でも同じように「鯨が夢枕に立つ」要素と「捕まえて祟られる」要素を満たした話が今でも沢山残ってたかもしれない…?
恐らく背美流れの小規模バージョンが各地で起きていた事で生まれた伝承だとは思うので、実際に各県で起きた漁業船の海難事故についてきちんと調べないと分からないが…
和歌山県太地町付近の捕鯨由来の姓
(高知、長崎など他の地域の鯨組は個人の実力で登用されていたからか、鯨漁に関係する特定の苗字が見つけ辛かった。和歌山の鯨組は完全ではないが世襲制なので職業との関連が強く残りやすい?)
太地(たいじ)
太地の郷士の和田忠兵衛頼元が組織捕鯨を開始し、その孫頼治が「網掛け突き取り法」を考案した功績で紀州藩徳川光貞から賜った姓。
脊古、背古、世古、勢古(せこ)
刃差(羽刺、羽差、羽指、波刺、波座士とも書く)(鯨を追い詰めて銛を打つ役割。鯨組の花形の職業。)の姓。古式捕鯨において刃差(はざし)が乗る勢子舟から。
海野(うみの)
脊古と同じく刃差か、水夫。
漁野(りょうの)
脊古と同じく刃差か、水夫。または櫓漕ぎの姓。
遠見(とおみ)
燈明崎、梶取崎から鯨を発見(潮吹きの形などで種を見分け、距離を測る)したり、見張り舟からの連絡を受け取ったりした際、狼煙や旗、法螺貝で連絡を取り合い、総指揮を執った山見(やまみ)という職業の姓。
網野(あみの)
網舟(勢子舟が鯨を追い込むための鯨網を仕掛ける舟)の指揮者である網船頭(船長)という職業や、網の加工や修理を担う職業の姓。
筋師(すじし)
鯨の解体を担ったり、筋を加工し道具を作ったりする職業の姓。
油谷、油谷(ゆたに)
鯨の皮脂を焼き、油を採取する職業の姓。
梶(かじ)
鍛治(かじ)から。捕獲道具の鍛治職人の姓。
捕鯨に関連する苗字を調べていた際に見つけた慣用句的な物を置いておきます。
太地には今ではあまり使わない言葉ですが、太地特有の鯨にまつわる言葉があります。
例えば、「マッコウ日和」。
意味は、春先から初夏にかけて、明日は雨が必ず降りそうな日のことです。このような日は、マッコウクジラの漁に出ている捕鯨船が鯨を捕鯨して帰港することが多いため、このような言葉がありました。
また「タッパを返す」。
意味は、気持ちよく昼寝していることを言います。タッパとはゴンドウ鯨の胸ビレのことを言うのですが、普段は水中にあり見ることができない胸ビレを時として、海面穏やかな早朝などに水面上にあげて静止していることがありました。鯨が体を横にして熟睡しているように見えた様から出来た言葉です。
捕鯨の歴史