ひとつの文脈でひとつのページを作れば良い
これを読んでcman.iconは「ふつうに“1文脈”じゃない?」と思った。
同一の文脈上に乗っているものは、1ページに乗せて問題がないと思っている。
同一の文脈とは、話が飛ばないまま話し続けられる限界。
具体的には「〇〇で思い出したんだけど」と言わないで話せる部分
「〇〇で思い出したんだけど、こんな話があって」と始まるものは、リンクにして別ページに飛ばせるし、飛ばすべき
「連想・説明・脱線」を区別出来るのだから、それ以外の部分が1ページに収まっていればよい
逆に言えば、ひとつの文脈であるならどれだけ長くてもいいんじゃないだろうか?
こういった反論がある。「その理屈なら、“自分”という文脈なら、あらゆるものをまとめて1ページにしてもいいわけですよね」
アトミックノートにしたい、というのは、つまり情報の弁当箱化を防ぎたいという欲求だろう。 連想・説明・脱線したら即リンク化して別のページに飛ばせば良い。
よくわからんが、情報の弁当箱とは「関係ない情報が連想か脱線か説明のために一つのページに書かれている」状態なのでは?
別のページにすれば、各ページを参照したいときのリンクは正常になりつつ、“こういう関連をさせた”という記録は残る
弁当箱にならず、過剰に細分化されず、自分にとっていい感じのページになるのではないだろうか?
「連想・説明・脱線」の基準は自分にあるため、ある種傲慢に、自分の基準を振りかざしていい気がする。