ばると網膜剥離にっき
このページはばるばる.iconが網膜剥離と診断され、入院→手術→退院までの経過を記したものである 網膜剥離は漫画や小説ではよく聞く病名だが、実際になった人も少なかろう。その初期症状など、参考になればと思う。
今年の夏は受難の季節であったこれは間違いない私の人生でも特にピンチの連続であった調子に乗って東京観光wp決め込んだ挙句謎のウィルスをもらい咳が止まらない眠れないわで二週間身動きが取れない状態になったがなんとか元気に復帰し、これは身体を鍛え直さなばならんなとウォーキングを始めちょっと健康になったんじゃないかと自画自賛していたところ盆休みに友人と鰻を食いに行ったらなぜか発熱しまた咳は出るし眠れないわで病院に駆け込んだら(正確には「車で待て」と言われたので駆け込んではいないのだが)コロナウィルスに感染していることが発覚し(東京でもらったアレはコロナではなかった?)またしばらく家で寝込む生活となり8月はほとんど職場にも顔を出せず「迷惑かけてサーセン」と大変申し訳ない気持ちでいっぱいであったが、うォーキングなど身体に負荷をかけずに咳も残っているし「まあちょっと落ち着いて暮らそう」モードで9月に突入した
9月に突入してから夜働いていると左目の隅に閃光のようなものがパパっと走って見えるようになった(暗闇では特に顕著である)。この現象は一体何だろうと思いネットで調べてみると、いわゆる光視症というやつではないか。網膜が引っ張られることにより硝子体(眼の中にある光を屈折させる組織)が刺激され、光の幻影を写し出すらしく、ほとんどの光視症は重篤なケースに当たらないと書いてあるが、「同時に飛蚊症が突然増え出した場合は注意が必要である」とか加えてあった。私は生まれつき飛蚊症なのだが(飛蚊症とは視界に黒い糸くずや虫のような点々が見える症状である)、光が見えるようになってから飛蚊症の量が若干増えたように感じた。また、左目の視界がぼやけることが多くなってきた。 これはアカンかもと私は思い光が見え始めてから一週間経ったぐらいで近くの眼科に検診に行った。実はこの時はまだそんなに危険なケースでもなかろうと思って(正確に言うと信じて)いた。お医者さんに診てもらったところ、左目が網膜剥離を起こしている、レーザー治療で治るケースではない。すぐに手術をしなければ失明の危険もある。都市部の病院を紹介するので、今からすぐに入院の準備をして行ってくださいと言われた。その時点で朝の10時半ぐらいで、「13時までに着くように行ってください」と言われたのである。私は非常に焦った。田舎に住んでいるので紹介された病院までは大体二時間ぐらいかかるのだが、視力が落ちているのと検査のため瞳孔が開いているので車が運転できない。私の両親はぼちぼち近くに住んでいるので運転を頼もうかとも思ったが、高齢で長距離の運転がちょっと怪しいのである。しょうがないので急いで帰宅し入院用の荷物をリュックに詰め込み、電車を乗り継いで都市部の病院まで向かった。 病院には何とか時間通りに着いた。ここからが長かった。朝に最寄りの眼科でやったような検査をもう一度やることになるからだ。都市部の病院は人が多かった。何より網膜剥離と診断されたので、待ち時間の間も気持ちがどんよりしていた。網膜剥離って漫画とかでよくあるやつで...ロベルト本郷がなってたやつやん...失明する危険のあるやつやん...失明したらどうしよかな、とか思っていた。あとまあ、職場にもかくかくしかじか入院手術でまた休むことになるなど連絡を入れたのだが、8月にも迷惑かけたのに、本当に申し訳ないなあという気持ちもあった。長い検査を終えたあと、お医者さんが言うにはやはり網膜剥離しているのでこれはもうすぐに入院して手術した方がいいという話になった。「局所麻酔でもいいのだが、ちょいと剥離してる眼球の位置がねぇ〜これは念のため全身麻酔の方がいい!」とお医者さんに言われたので、全身麻酔の手術となった。 ここでひとつ問題が。全身麻酔手術の場合、家族など身元保証人の立ち会いが必要である。これは手術中の患者が麻酔から目覚めないなど問題があった場合に、意思疎通の取れない本人の代わりに責任を持って対応してくれる人間が必要だからである。万が一のときに患者側の立場で判断を下せる人がいないと困るのである。立会人を探さなくてはならない。もちろん親がいるが、高齢である私の親がこんな都市部まで来れるかどうか...そこが不安であったが、姉に連絡したところ、姉が仕事を休んで立ち会ってくれるとのこと。姉は県内に住んでいる。ここで私が思ったのは、家族がいない人、家族が遠くに住んでいるなど何かしらの理由で家族がすぐに手術に立ち会えない人が、こういった緊急の全身麻酔手術を受ける場合はどうするんだろうということである。私はたまたま県内に姉が暮らしていたので助かったが、そうでない人もたくさんいると思うのだが。また何か別のやり方があるのだろうか。
ところで、私は最初に診察してもらったお医者さんから即入院即手術だろうと聞いていたので、入院用の重い荷物を背負ってきたのだがなんと入院は翌日になるとのこと。そんな! 手術のための書類と説明、身体検査を終えて私は重い荷物を背負いその足で実家に向かった。全身麻酔同意書や手術費用の支払いやなんやかんやの書類に保証人として親にサインしてもらうためである。この時点でもう陽も落ちていた。電車を乗り継ぎクタクタである。検査では瞳孔を開く目薬を刺されるので、ものがよく見えなくなるのでイライラする(目の表面だけでなく内部を診察するための眼底検査というのがあるが、これをするために瞳孔を開く必要があるのだ)。親になんやかんや書いてもらい、自分でも書類に何やかんや記入しその日は実家に泊まり次の日入院のためにまた病院に向かった。なんか詳細に書きすぎてダラダラ長くなってるな。
今回の私の網膜剥離の症状と手術で何をするのか簡単に説明しようと思う
眼球の中は硝子体という無色透明のゼリー状のものに満たされているのだが、加齢によりこの硝子体の液化がすすみ、縮んだり量が少なくなってしまうことがある。これを後部硝子体剥離と言うが、まあおじいおばあになるとだいたいこれになるらしくて、この状態ならそんなに心配はいらない。実際私は何年か前に後部硝子体剥離と診断されていた、すっかり忘れていたが。ちなみに私はまだそんなに年寄りではない30代40代の世代である(年齢を書くのは恥ずかしい)。なのになぜ硝子体の縮減が進んでいるかというと、生まれつき強度の近視だからである。強度近視の人は目を酷使することが多いから硝子体の縮減の進行が早いとのこと。 問題は、この後部硝子体剥離発生時に硝子体が網膜に癒着していると、縮減と同時に網膜が引っ張られ破れ裂孔や剥離が起こる場合があるということ。私が網膜剥離になった原因は多分これだと思われる。網膜は頑丈にできておらず非常に繊細な組織であるらしい。なので眼球に強い衝撃を浴びることで網膜が剥がれるケースもある。ボクサーやスポーツ選手の網膜剥離はこれが原因だろう。
でまあ、私は網膜がベラー剥がれてたらしいのだが、後部硝子体剥離から網膜剥離すると飛蚊症が増えたり視界がボヤけたり視野が欠損したりする。後部硝子体剥離で硝子体が液化した部分に濃い線維状の混濁物が浮遊する状態になるのだが、ここに光が当たると、混濁物の影が網膜に投影され、それが黒い線や点に見えてしまうのであるが、網膜がはがれると、その部分は増えてくる。また剥離した部分は光を感じなくなるので、ぼやけたり視野が欠損する。ちなみに剥離が黄斑という視神経近くの中心部まで進むと、失明のリスクが高くなる。私はここまではいってなかったので、セーフ。 そいでまあ、網膜がベラーなってると自然にもとに戻ることはないので、手術で元通りにくっつけなくてはならない。
やり方はふたつある
2の方法は重症のケースに行われる方法らしく、私は1をお勧めされた。強膜バックリング法は、剥離した網膜の部分の外側から眼球壁(強膜)に下敷きとして、細いシリコーンのひもを縫いつける方法らしい。要は外側からシリコン縫い付けて網膜の剥がれた部分を元に戻す手術。私の左目にはいまだにシリコンが入っとるのである。
ちなみに2の方法だと術後2週間は下向きでの安静が必要らしく、私はこれを聞いて本当に早めに受診しておいてよかったなと思った。うつ伏せで二週間も過ごすなんて耐えられない!
ということで、私は入院翌日には左目を強膜バックリングされることに決まった。
あまりダラダラ書くのもアレなので、ざっくり書いていこう
手術は問題なく終了した。1時間〜2時間ぐらいの手術だったのかな?私は麻酔を投与されていたのでよく覚えていない。手術台に寝かされて、リラックスする薬を投与、痛み止めの薬を投与、なんか眼球にも目薬投与されたかな?手術室に運ばれてから麻酔を投与されて意識がなくなった。
麻酔から覚めた時は病室のベッドの上だった。手術は夕方ぐらいに始まったが、もう夜であった。ベッドのそばには姉がいた。とりあえずめっちゃおしっこがしたくなったので「おしっこめっちゃしたいす」みたいなことを看護師さんに言って尿瓶を勧められたので尿瓶にちんちんを突っ込んでみたけれどもおしっこは出なかったみたいな記憶がある。姉とはちょっと談笑した(内容はよく覚えていないが)。姉はしばらくして帰った。
実は麻酔からの目覚めが非常によくなくてもう全身麻酔はもうやりたくないなあと思っている。うまく説明できないが若干パニック気味というか神経がずっと昂っているという感じで、動悸がして夜は眠れないし何か息苦しさと不安感がまとわりついている感じで「ずっとこのままだったら自殺するしかないな」とか死の観念が襲いかかってくるし二、三時間はそんな現象に苦しんだのでこのまま夜を越すのはあかんぞと思い看護師さんに補助されながらトイレに行った時に「なんか神経が高揚してるのか眠れないんです、どうしたらいいんでしょう」と告白した。私はこんな時も抑制されているのでこのような遠慮がちな言葉を発したわけだが本音は「このままやと自分壊れてしまいそうなんや!助けてくれるのはあなたしかおりません!神よ!ヘルプミー!ヘルプミー!」って感じだったんだが、看護師さんには「うーん、睡眠薬ならあるんですけど...麻酔後に薬を飲むのは禁じられてますからね...」と言われた。まあそうだよねと納得しおしっこをしたのだがおしっこしたら嫌な成分が流れたのか気分が良くなってきて眠れた。
入院中と退院後の生活について
病院内の設備やシステムなどについて病院の許可なく書くのは良くないのかなと思うので省略。
とりあえず病院食は健康的なのでちょっと痩せたかなと思う。普段から太ってはいないのだが、ちょっと中年らしい体型になりつつあったのでダイエットになった。病院食はマズイイメージもあると思うが結構美味しかった。あと食べる対象がよく見えないと飯はうまく感じないんだなと思った。手術後初日は裸眼(私の裸眼視力は0.1以下である)で過ごしていたのだが何を食べているのかよくわからないのでっ全くうまく感じなかった。
入院中はずっと眼帯をつけさせられていたのだが、これは結構ストレスだった。片目が見えないというストレスもあるのだが、塞がれているストレスは大きいんじゃないかと思った。眼帯を外した時に片目が見えなくてもだいぶ楽だったから、”眼帯で塞がれている”ことがストレスなのである。そんなこんなで片目で生活しているので、読書をしてもあまり集中できないし、スマホでなんか見ててもイマイチ楽しくない、ただ暇である。この生活で非常に助けてもらったのがラジオである。ラジオというかポッドキャスト。ポッドキャストは目を使わなくても楽しめるので、ずっとポッドキャストを聴きながら寝ていた。コテンラジオ(歴史を面白く学ぶコテンラジオ)という番組があるのだが、それをずっと聴いていた。アメリカ開拓史や最澄と空海、中国、教育の歴史やルソーについてなどさまざまな分野について勉強にもなった。 えーと、あとなんかあるかな、目の手術をすると顔や髪を洗うのがタブーになるのでそれでちょっと不快感があったか。まあ入院期間は一週間もなかったので、なんとか持ち堪えた。
入院期間中、眼球の検査と医師による診察を繰り返した結果、手術後網膜は問題なく繋がっているようなので無事退院と相成った。
退院後は抗菌剤と炎症改善の目薬による治療。実家で安静生活を一週間ほど過ごした後、通院し再検査した結果問題はないようなので今後は最寄りの眼科の診察でオッケーとのこと。
現在左目は手術による炎症がまだ残っているので少し腫れているのと充血気味。目ヤニがよく出る。シリコンのせいかたまにゴロゴロする。見え方だが、剥離時に発生した飛蚊症だけは残っている。だけどそんなに気にならなくなってきた。お医者さんも慣れだとは言っていた。視力は剥離前に比べてほんの少し落ちたか、ぐらいでほぼ以前の状態に回復したと思う。
そういえば、手術後に眼帯を外して自分の左目を見た時に左目の上瞼が落ちて塞がっているので結構焦った。「トム・ヨークみたいになったな」って感じでまあトムは美男子だしサマになるが平凡な中年の眼瞼下垂はちょっとなあ、モテなくなっちまうぜと思ったが目薬をさすうちに改善されてきて、今はもうほとんど開いている。 そんなこんなでまあ経過は良好でまだ一ヶ月もたっていないので注意は必要だが、健康な気分では過ごさせてもらっている。何よりこんなふうにぼちぼち長い文章を書けるようになったのも回復した証拠だろう。
乙
追記
そういえば医療費について書いておきたかった。まあみんな知ってるようなことかもしれないが、緊急入院や手術などの高額な医療に関わったことがない人もいるかもしれぬし、役に立つかもしれないから追記しておく。 今回の入院手術によってなんやかんやお金がかかった。具体的に言うと退院時に20万近く払わされた。日本は国民皆保険制度の国であり基本医療にかかる自己負担額は3割である(保険適用外の医療もある)。実際の医療費は70万円近くかかっていると思われるが、20万ですんでいる。そっかあ、ならしゃーないか、命あっての物種。ただ、それでも高い。こういった払う医療費が高額になってしまったときに使えるのが、高額療養費制度である。これは自身が加入している公的医療保険(健康保険組合・協会けんぽの都道府県支部・市町村国保・後期高齢者医療制度・共済組合など)に高額療養費の支給申請書を提出または郵送することで支給が受けられるという制度である。ようは高い医療費を払った場合には国保や社保組合に申請すれば高額な医療費の何割かが返ってくるという仕組みである。私は会社の社会保険に加入しているのだが、そこが加盟している全国健康保健協会(協会けんぽ)に申請した。ちなみにこれは会社を通さず自分でやることになるが、そんなに難しい作業ではなかった(記入欄は自分で記入する欄しかないし、簡単なものだ)。社保に加入していない国保の方は、お住まいの市区町村国民健康保険担当課に問い合わせるといい。領収書が必要なケースがあるので、病院で支払った際の領収書は取っておくといい。返ってくる額は普段の収入などによって変わってくる。私は大して稼いでいないので20万のうち3/4ぐらいは返ってくるだろう。詳しくはこちらを読むと良い→高額療養費制度を利用される皆さまへ 高額な医療費を支払ったとき(高額療養費) ちなみに医療費が高額になることが事前にわかっている場合(例えば入院日、手術日が一ヶ月後とかの場合)には、医療費の支払い時に限度額適用認定証を提示して、その時点で高額療養費制度を適用して払う金額を抑えることが可能である。限度額適用認定証は、事前に健康保険組合などに申請して高額療養費の認定を受けている証明をするものである。私は今回緊急入院、緊急手術だったのでこれの申請は間に合わなかった。詳しくはこちら→限度額適用認定証をご利用ください あと、これは社会保険加入者限定の話だが、傷病手当金という制度があるので、入院や怪我で会社を休んだ人は申請するといいかもしれない(国保でも国民健康保険組合加入者ならもらえるかも)。多分コロナで休んだりした場合にももらえます。私は入院中は有給休暇を申請したのでこちらの制度は使いませんでした。